2007年7月  1.エルサレムの平和を求めよう
 イスラエルの人々もパレスチナの人々も、60年もの間、紛争に苦しんできました。いまだ両者の間に妥協点は見いだされず、和平交渉再開のめども立っていません。占領と破壊、分離の壁の建設、入植地の拡大が続行され、それらに対する抵抗が続いています。占領のことにしても、難民のことにしても、分離壁のことにしても、テロのことにしても……、私たちは体験していないことを実感することはとても難しいことなのです。

 私は2006年12月から翌年1月にかけて、イスラエルを巡礼する機会に恵まれました。最初3日間はガラリア湖畔に泊まり、その後エルサレムへ向かったのですが、田舎のにおいが漂うのどかなガリラヤ湖と、石ばかりの町エルサレムの格差を実感しました。そしてエルサレム滞在期間に一度だけパレスチナ自治区にあるダビデの町ベトレヘムのご降誕教会を訪ねました。そのときパレスチナへ入るところで、私の眼には「分離壁」がとてつもなく大きく映りました。
 バスも乗り換える必要があるのですが、パレスチナへ入ると光景が一変します。光景に貧しさが滲み出ているのです。やはりここにも大きな格差があるのです。その時のその実感を、大切にしたいと思いました。

 2007年6月16日の朝日新聞には、パレスチナ自治政府が分裂したという記事がありました。
 イスラエルとパレスチナの対立ばかりでなく、イスラエルの中でも激しい対立があり、またパレスチナの中にも泥沼のような対立があります。一見真っ暗な闇しか見えないようですが、私たちは、そのような中にも光を見たいと思います。

 エルサレムとパレスチナを自分の目で見た実感は、私たちが住む日本の空が遥か彼方のエルサレムやパレスチナの空につながっていることを教えてくれます。彼らが遠くて近い隣人であることを教えてくれます。以前テレビでも放映されたのですが、平和の祈りと活動を続ける日本山妙法寺の僧侶で、パレスチナに派遣された方が、イスラエルとパレスチナの子どもを共に集め一緒に平和を願いながら折り紙で「鶴」を折る作業をしているのを思い出しました。

 光、それはやはり子どもたちのことだと思います。戦乱の地の子どもたちが、暴力の連鎖の道を進むのではなく、相手の痛みや苦しみへの理解をもって、平和共存の道を探る。それには、正しい知識を学び、豊かな人間教育を受けることが不可欠ということで、イスラエルとパレスチナの聖地の教育を支援している「NPO法人:聖地のこどもを支える会」の活動に心が響きました。

 「エルサレムの平和を求めよう。あなたを愛する人々に平安があるように。あなたの城壁のうちに平和があるように。あなたの城郭のうちに平安があるように。」(詩編122・6-7)と祈り続けていきましょう。聖地の平和が世界中の平和につながることは、確かなのですから。