2009年12月  3.子どもたちからの学び
 インドの詩人タゴール(Rabindranath Tagore, 1861-1941)は、「この悲惨な社会にそれでも子どもたちが新しい無垢なる生命をもって生まれてくることは、神が未だこの世界に絶望していないことの徴(しるし)です」といった内容を述べたことがある。欧米と同じく少子化が進行する日本社会、若い家庭における子どもの誕生はそれでも〈天からの授かりもの〉という感覚が全く消失されているわけではないが、一人ひとりの子どもの内に成育する人格的生命に対する尊敬と愛顧のこもる関心は、一般社会の世相に鑑みる限り決して十分とは言えまい。新政権の子ども手当て等の社会政策によって、将来を担う子どもたちの教育を受ける機会均等は向上するであろうが、子どもたちの内に芽生える人格的生命のための精神的‐霊的環境の刷新に果たして手が届くであろうか。
 若き日のフランシスコ・ザビエルがイグナチオ・デ・ロヨラに宛てて書いた手紙の中の一節に、次のような箇所がある ― 「キリスト教の信仰を受け入れてもう8年になる信者の村に来ました。… ここでは、司祭から置き去りにされ、自分たちが信者であること以外、何も知らない状態です。そのために私はここに来て、まだ洗礼を受けていない子どもたちに、先ず洗礼を授けに回りました。こうして、右も左もわきまえないと言われるような子どもたちに、救いの手を差し伸べることができました。子どもたちは『祈りを教えてください』と熱心に求めるので、私は聖務日課の務めを果たすことも、食事をすることも、休みをとることもできなくなるほどです。『天の国はこのような者たちのものである』ということが、初めてわかったような気がします」。― ここには、神の慈しみ深い導きの内に置かれている子どもたちから人間の真の尊厳を学び直す使信が込められている。