2010年7月  3.都市文化における正義と連帯と平和
 社会学者の宮台真司さんという方がいます。彼の意見のすべてには賛成できないのですが、『日本の難点』という著作の中での自殺についての考察は、納得できるものです。「『金の切れ目が縁の切れ目』である人間関係ばかりが拡がっているのです」という分析は非常に鋭いと感じられます。宮台さんは、現代社会は社会の「底が抜けて」いる状態で、いのちを支えるような絆が欠落してしまっていると考えています。ホームレスや自殺の問題を、日本経済の状況や個人保証の制度に問題を帰属させるのは短絡的で、むしろ「絆」の問題であると考えるのが国際標準であると指摘しています。欧州よりも労働時間が長い日本の状況では、「家族の営み、地域の営み、教会の営み、NPOの営みにも加われず、絆は無理」(2010年1月15日号「週刊朝日」)という指摘は私たちに痛切に響きます。
 南洋諸島のある小さな島に、名物おじさんがいました。彼は若いころに事故で脳に障害を負ってしまい、うまく話すこともできず、ほとんど一日中島を歩き回って生活していました。魚を取るわけでもなく、農作業を手伝うわけでもなく、ただ一日歩いている。当然食べるものも、着るものもないはずです。しかし彼は毎日元気に島を歩いていました。人口が1万人にも満たない小さな島ですので、島に住んでいる人全員が親戚みたいなものです。彼が食事時に通りかかれば、そこの家が食事を提供し、彼が裸で歩いていれば、誰かがTシャツを与えていました。確かに島全体が絆で結ばれているような所では、経済的につまずいた程度で行き詰ってしまうとか、自殺してしまうということがないのでしょう。
 現代の都市生活に慣れきっている私たちにとって、絆を作っていくことは面倒にも感じられます。自分が困っている時はライフラインになりますが、自分が困っていない時には足枷(あしかせ)にもなります。それでも、真の人間的生活とは何かを考えて、再び人間的な絆を築できるように、日々の生活を見つめ直してまいりましょう。