2010年12月  2.平和と隣人愛
 12月の宣教の意向では、「キリストに心を開く」ように呼びかけられています。そのために、「平和と愛」に満ちあふれたキリストの言葉に出会うことができるようにと、私たちは日々祈ります。
 私たちの隣り人とは、誰でしょうか。今、この時点で、空間的にあなたに一番近い「ヒト」は、誰でしょうか。あなたはその人のことをどのくらい知っていますか。その人の喜びを知っていますか。その人の苦しみを知っていますか。
 交通・通信手段が急激に発展したために、私たちにとって世界は格段と拡がりました。一人の「ヒト」が移動する範囲も、自ずと拡がりました。そして、初めて出会う人の数も、「ヒト」が管理できる数を、はるかに超えてしまっているのでしょう。ですから、出会う人の隣り人になることは、とても難しくなっているのです。状況的には、「無縁社会」の方向にますます突き進んでいるのでしょう。
 互いに信頼できる関係は、すぐには出来上がりません。その人の良さが分かり、足りなさも受け入れて、また同時に、自分の良さも醜さも受け取ってもらうことで、心を打ち明けることができる信頼関係が生まれるのでしょう。この鉄則は、いつの世も変わりません。人間として心を開くには、時間が必要なのです。
 しかし、初めて出会った見ず知らずの「ヒト」の苦しみにも共感することを、キリストは望んでおられるのです。しかも、何の報いも求めない姿勢です。よきサマリア人のたとえに示されるように、徹底した無償の愛なのです。そして、このキリストの心に重ねて示される隣人愛がなければ、真の平和には至ることができないのでしょう。
 とすれば、平和の実現は、なんと難しいことでしょう。平和な社会を願っても、祈っても、無償の愛の実践がなければ平和は訪れないのです。結局、私たち一人ひとりの心が、「キリストの心」に導かれて、苦しみに共感する優しさをいただくことができなければ、平和は来ないのです。
 神が私たち一人ひとりを、無償の愛で包み、闇の世にキリストを送ってくださったことを思い、その愛を隣人に分かち合うことができるように祈りながら、クリスマスを迎える時を過ごしてまいりましょう。