2015年4月  3.生命の危機にあるキリスト者
 世界の三大宗教の聖地であるエルサレム。巡礼の旅を経験された方は、この聖地でそれぞれの宗教が互いに尊重し合い、共存の道を歩んでいることを肌で感じることができたでしょう。今日の時代に、他の宗教を否定して、自分が信仰する宗教だけが唯一絶対であるとする教えは、現実的ではありません。カトリック教会も、50年ほど前の第二バチカン公会議において、それまでの「教会の外に救いなし」という真理を見直して、仏教、ヒンズー教、イスラム、ユダヤ教など他宗教について、教会が、それぞれの宗教の中にある真理を受け入れ、相互理解を深めることを進めました。かつて十字軍を編成して聖地奪還のために武力をもってイスラム教と対峙したことを大きな過ちと認め、相互に尊重し合う方向性を打ち出したのでした。私たちキリスト教ばかりでなく、イスラム教の側でも、他の宗教の教義を否定したり、他の信仰者を排除したりする方向はとっていません。
 ところが、中東の過激派集団は、イスラム教のジハード(聖戦)にかこつけて、「右手にコーラン、左手に剣」のコーランの教えを曲解して、キリスト教徒は自分たちにとって敵だから、最後の一人までキリスト教徒を滅ぼすようにと、自分たちの暴力を正当化する論理を展開しています。正統の宗教団体としてのイスラム教諸派は、いずれも「イスラム過激派」と呼ばれる人たちを認めてはいませんし、今日世界を震撼させているIS(イスラミック・ステート)の残虐極まりない暴力的破壊行動を非難しています。ですから、キリスト教や、他の宗教は、イスラム過激派が宗教の名に隠れて行う暴力行為を、宗教としてのイスラム教とはっきりと区別することがとても重要でしょう。
 さて、教皇の4月の福音宣教の意向は、「迫害されているキリスト者」のために祈ることです。現実には、ISに支配されている地域でも、たくさんのキリスト教徒が暮らしています。そこでは、キリスト教徒であるということだけで、生命の危険にさらされているのです。この一週間は、このような状況下で暮らすことを余儀なくされているキリスト者が、生命を落とすことがないようにと、心を合わせて祈ってまいりましょう。