2016年8月  3.福音を生きる
 8月の教皇の福音宣教の意向には「福音を生きる」いう表題が付けられています。祈りの中で神の望みを探し求め、その道を歩むことがいかに辛く厳しいものであっても、それを神のみ旨として受け止め、心と体を尽くしてその道を進んだイエスのように生きること、この生き方が「福音を生きる」ただ一つの道なのではないでしょうか。
 教皇の意向の文章を順を追って味わいながら、理解を深めてまいりましょう。まず「キリスト者が」とあります。神が、人類を罪から解放して永遠のいのちに導くために、ひとり子イエスをこの世に送り、互いに愛し合いながら幸いを生きる道を示してくださったことを信じて、自らもその道を歩むことを選んだ者がキリスト者だということができるでしょう。
 「福音を生き」は、それに続く具合的な生き方を、日々、心して実践することで到達できるのでしょう。その具体的な生き方の第一には「信仰の証し」がかかげられました。つまり、キリストが、自分の目の前で起きている出来事に対して、愛の心をもって誠実に対応したように、恐れることなく自分が神のみ旨だと確信できる道を具体的に生きて、イエスの道が神のみ心にかなっていることを人々に知らしめる生き方だということができるでしょう。
 続く「隣人への愛のうちに」では、遠くにいる誰かにかかわることよりも、まずは自分の目の前で苦しんでいる人に心を向けて、自分の望みよりもその目の前の人の必要を優先して生きることを伝えようとしています。そして「誠実に」とは、心と体の限りをつくして、謙遜に生きる姿勢でしょう。
 このように「福音を生きる」日々に招かれている私たちは、どのように生活を組み立てればよいのでしょうか。それは、その月の教皇の意向をもって、朝起きた時に、まず自分自身のすべてを神とその日に出会うであろう人々にささげてその日をスタートさせ、日中は、イエスとともに神の望みを生きているかどうかを確認しながら過ごし、そして床について休む前に、その一日を丁寧に振り返って、感謝のうちに祈りをささげる生き方なのです。まさに、この「きょうをささげる」を日々積み重ねていくことなのです。
 その道は、「福音を生きる」道へと確実につながっていくのです。平和旬間の中にあって、「きょうをささげる」が奨めている生き方を、ぜひ実践してまいりましょう。