2016年9月  5.知を伝承し、心を育む
 9月の日本の教会の意向に、「難民移住移動者の子どもたち」が取り上げられて、子どもたちの教育を受ける権利が守られるように、心を合わせて祈ることが勧められています。憲法でも保障されているこの権利は、日本国籍を有する子どもたちだけでなく、日本で暮らすすべての子どもたちに当てはまるものです。とりわけ、諸般の理由から母国を離れざるを得なかった家族とともに、その国での生活を余儀なくされている子どもたちには、生活基盤が整ってからふさわしい教育の機会が与えられるのはもちろんのことですが、日々流浪する中でも、教育についての配慮がなされるべきでしょう。加えて、外国籍の人たちばかりではなく、家庭内暴力や離婚、失業、疾病、さらにまた貧困のために、一定の場所に生活拠点を築くことが難しい家族とともに過ごす子どもたちにも、同じような配慮が必要とされています。
 この機会に、教育とは何かについて思いめぐらし、私たち大人の一人ひとりができることに気づく機会にしたいと思います。教育とは、この世に生をいただいた小さないのちが、自分の力で成長することができるまでの間、先達である私たち大人が人類の知の蓄積を伝え、そしてまた、私たちの心がどのような時に喜びに満たされ、あるいは、悲しみの底に沈むかについて、体験を伝えていくことではないでしょうか。ですから、漏れがないように知識の積み重ねを体系的に伝えるカリキュラムの下での教育が必要です。知識の伝承だけでなく、心を育てることも同時に進められなければなりません。そして、知識と心との組み合わせで子どもの中に蓄積された知恵を、それを最も必要としている人のために差し出すことが、一人の人間に求められる最も大切なことだと伝えなければなりません。
 支え、見守り、ともに歩んでいかなければ、自分一人では成長することができない子どもたちは、知恵に満たされて成長していくことの大切さに気付くようになります。その時に、教育、つまり教え、育むといった援助が、より多くのまた専門的な情報を提供する養成(フォーメーション)へと、その性質を変えていくのです。
 生活が安定しない子どもたちに、体系的に知の蓄積を伝え、心を育むことは、容易ではありません。しかし、すべての子どもたちは、教育を受ける権利を有しています。そのような子どもたちのためにできることは、まず、そうした子どもたちの現実の生活、そして悩みや苦しみついて知り、理解することでしょう。そして、何よりもそうした状況に置かれている子どもたちのために祈ることです。
 教育の目的はまるで知の伝承だけだと錯覚している今日にあって、心の成長がなければ、決して知恵は生まれないことも、声を大きくして伝えていきたいものです。