2017年4月  1.若者たちの語学力
 今年の8月のはじめに、インドネシアのジョグジャカルタで、第7回のアジア青年の日(アジア・ユース・デー、AYD)の大会が開催されます。FABC(アジア司教協議会連盟)が主催するこの大会には、アジア各国からおよそ3000人の若者たちが集うことになっていて、日本の司教協議会も、17歳から30歳までの50名の参加者を公募しました。
 昨年、ポーランドのクラクフで第31回世界青年の日(ワールドユース デー、WYD)が開催されたこともあってか、あるいは日本の若者たちの関心がアジアに向いていないせいか、50名の枠に対して30足らずの応募しかありませんでした。日本社会は高齢化に道を進んでいますが、アジア全体を見渡せば若者の活気であふれています。私たちも、若者たちの将来を考え、また祈るときには、アジアの枠組みで捉えることが必要なのかもしれません。
 アジアでの国を超えた交流の妨げになっているのは、言語です。オーストラリア、ニュージーランド、そしてミクロネシア諸国も加えた、アジア・パシフィックの国々での国際的な集まりで使用されている言語は、英語です。中南米の国々ではブラジルを除いて共通語としてスペイン語が用いられている関係から、若者たちが国の枠を越えて交流する場合には、言語が障害にはなりません。また、ヨーロッパでは近年、若者たちが上手に英語を話すようになりました。しかしながら、日本の若者たちを、アジアでの国際的な集いに出向くように働きかけをしても、言語が大きな妨げになってしまう現実があります。
 教皇の4月の意向は「若者たち」です。特に司祭職や奉献生活への道を真剣に考えるように願い求めています。ところが、召命の減少が進む中で、司祭、修道者への道となる養成の場は、国の枠を越えて行われる時代となってきました。かつて広島の長束にあったイエズス会の修練院は、東京に移り、そしてこの4月からフィリピンのマニラ近郊、ノヴァリチェスに移ります。
 これからの若者たちが、広く情報に触れ、自分を見つめ、神を探し求めてその声に従うことができるようになるためにも、語学力、外国語で聴き、話し、考える力が求められる時代となった現実を受け止め、その養成のために私たちも心を合わせて祈りたいと思います。