2018年1月  1.インクルーシブ
 2018年の歩みが始まりました。この一年を、正義と平和のうちに過ごしていくことができるようにと祈りながら、皆で協力して取り組まなければならない、そして解決しなければならない課題の多さに、心が押しつぶされそうになります。教皇とそして日本の教会と心を合わせて、祈りの毎日を重ねてまいりましょう。
 教皇も、そして日本の教会も、年の初めに、多様な宗教が互いに尊敬しあって、しかも協力し合って、人類の脅威に立ち向かっていくことの重要性を取り上げています。教皇は誰一人として排除されることのない社会を創っていこうと、たびたび話されます。エクスクルーシブという言葉は「排除」を表しますが、その反対のインクルーシブ、つまりすべてのものを包み込むという意味の言葉を使って、教皇は話されます。しかし、この「包含」と訳されるインクルーシブを実際の生活に持ち込むことは、実に勇気のいることなのです。そしてこれは、イエスの「敵を愛せよ」というメッセージにもつながるのです。
 私たち人類は1948年の第3回国連総会で「世界人権宣言」採択し、このインクルーシブな世界を、そして誰にでも人間としての基本的な権利があることを公式に認めました。しかし、現実にはいまだに排除し合う関係が続いて、互いに殺し合う事態にまで発展しています。21世紀が到来したときに、20世紀を戦争の世紀、そしてこの世紀を平和を実現する世紀と位置づけたのですが、敵をゆるし、敵を愛することは簡単なことではありませんでした。残念ながら世界のいたるところで、2018年を迎えた今も、排除し合っているのです。
 誰一人として排除されないということは、いかなる宗教を信奉していても、人間としてのその人を受け入れなければならないということです。どの宗教も自分のためだけでなく、まわりの人々と共に誠実に謙虚に歩んでいくことを勧めています。少なくとも私たち側から、「まわりの人々」の枠の中に、異なる宗教を信じている人を加えていこうではありませんか。仏教を信じている人たちという大きなくくりではなく、具体的な人、例えば仏教に熱心な叔父とか、毎日神社に参拝しているお向かいの人といった具合に、人としてのその存在を受け入れ、その人が信仰している宗教を容認するということです。
 いかなる宗教も排除しない社会ができあがれば、人類の脅威は大きく削減されます。この一週間は、宗教的なインクルーシブな世界の実現のために祈ることにいたしましょう。