2021年6月  4.キリストの呼びかけ
 司祭や修道者の召命においても、また、信徒としての使命への召命にしても、それが神からの招きに呼応したキリストの呼びかけだと確信できたときに、喜んでそれに応えようとする心が沸き上がってくるのでしょう。日本の教会は「若者がキリストの呼びかけに応え、神の民に奉仕することができますように。」と祈ることを意向として掲げています。そこで、キリストの呼びかけに耳を傾けるための祈りの組み立て方について、確認しておきましょう。
 教会は第二バチカン公会議で聖書とどのように向き合うかについて確認し、それを『神の啓示に関する教義憲章』として公にしました。その発布40周年を記念して2008年に行われた第12回シノドス(世界代表司教会議)で、神のことばに関する考察と提言を行いました。その「最終メッセージの要約」に、聖書を祈ることによってキリストに出会う道が、はっきりと示されました。以下、その引用です。
 「『霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)』は祈りのうちに聖書を読むことです。それは、黙想と祈りと観想を通じて、生きた神のことばであるキリストと出会うことを可能にします。」
 何と心強い言葉でしょうか。教会はシノドスを通して、キリストと出会うことは可能だと、公言しているのです。ではこの霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、どのような祈りの組み立てなのでしょうか。紀元3世紀、教父オリゲネスのころに、聖書を使って祈りを深める方法が固まりました。それは4つの段階から成り立っています。
 第一段は「レクチオ」で読むことを指します。み言葉の一節を丁寧に繰り返して読み、味わいます。第二段は「メディタチオ」で黙想にあたります。み言葉を思いめぐらし、その情景を深く心の中に描き出してそこに留まります。第三段は「オラチオ」で祈りを指します。キリシタン時代の「オラショ」に通じるこの祈りでは、神からの助けや支えをいただきたいといった願いも含めて、私たち人間の思いを神に語りかけます。そして第四段の「コンテンプラチオ」では、心を研ぎ澄ませて、神が何を伝えようとしておられるかを感じ取る観想を沈黙のうちになそうと試み続けます。「主よ、僕の私は心を開いて聴いています。どうぞみ心をお示し下さい」と繰り返し留まります。引用したシノドスの最終メッセージに「黙想と祈りと観想を通じて」とあるのは、この第二段、第三段、第四段と進めていく過程にほかなりません。
 日本の教会が掲げている意向にあるように、若者が神の呼びかけを聴くことができるように、レクチオ・ディヴィナの祈りに出会うことが望まれますが、私たち一人ひとりも、自らの使命に気付き、それを自分の固有の召命として納得して受けとめることができますように、レクチオ・ディヴィナの祈りを身につけてまいりましょう。