石との対話

 

 

 

 中学の「宗教」の授業で「石との対話」という授業を行った。

授業の前に「そこらに落ちていた石を拾ってもってきなさい」と指示をした。生徒たちは皆思い思いの石を持ってきてみせあいっこをしている。

「みんな石を持ってきたようだね。まず、その石をじっと見つめてみよう。どんな石かな?」

「次にこの石と対話してごらん」」

「えーっ。石は何もしゃべらないよ」いshn.jpg

「でも、いいから話しかけてごらん」

「何を話しかけたらいいの?」

「たとえば、あなたはいつどこでうまれたの?とか。どうやってここへ来たの?とか、兄弟はいるの?とか………。そしてよ〜く耳をすまして応えを聞いてみるんだ」

「なにもきこえませ〜ん。」

「しーっ。静かにしないと聞こえないよ。」

「石の応えがきこえたひといるかな?」

「石の声を聞こえたわけではないけれど、その石は何十万年前にうまれたということに気がつきました。これってすごーい。私たち人類が生きているよりはるかに前に生まれて存在しているんだ。」

「わたしには何も聞こえません。」

「そういう人は耳で聞こうとしているから聞こえないんだよね。心できけばいいんだ」

「心できくって?」

「そうだな、想像力とか感受性とかをファンタジーとか空想力とかを使ってきけばいいんだよ。そうしたら『気づき』とか『インスピレーション』とかを刺激して応えてくれるはずだ」

「それでいいなら、私も聞こえたような気がします。兄弟はいるの?ってきいたら、この石が同じかたちのものが二つとないということに気づきました。」

「それはすごい。よく石の応えが聞こえたね。そうだよね。みんな同じ石でも形はみんな違っている、これもすごいことだと思わない。人間もみな似ていても同じ人はいないよね。」

「ほかに石の応えが聞こえた人いるかな? どういう問いかけをしたら、石がどういう応えをしてくれたかな? 問いに直接は応えていなかったり、とんちんかんな応えのように思えるかもしれないけれど、それも石の応えかもしれない。」

「対話なんだよね。石に何か問いかけないと応えはなかなか聞こえないし、その石の応えは心で聴くものだ。感受性を全開にして、想像力や空想力を駆使して、気づきやインスピレーション、感動でもって応えてくれる。これって何かに似ていない。似るというよりもそのものなんだけれど、わかるかな?」

「そうかあ。祈りだ。石との対話は神さまとの対話と全く同じじゃないか。神さまに話しかけると神さまの応えは直接は聞こえないけれど、心で聴けば聞こえるんだ。」

 

(60代 元教員)