母が最も輝いていたとき



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 2004年に91歳の父を天の国へ送り出した。この時は私もまだ仕事をしていたので、父と最期の生をともに過ごしたという実感がなく悔いを残していた。それで母の時は最期の生をできるだけともに生きようと決意し、仕事も定年前に辞めた。

 母とともにいる時間をできるだけ多くするように心がけ、最期の1年は母と同じ部屋で寝起きした。昨年92歳で母を天の国へ送り出したが、「おかあさんは幸せでしたね。こんな親孝行の息子さんに看取られて」「よくおかあさんに尽くしました、悔いは残らないでしょう」とまわりの人から口々に誉められた。一つの使命を果たしたという安堵感を感じたのである。

 

 父をなくしたあとの母は、食事も一人でとれるし、トイレもなんとか一人でできたが、3分前のことをきれいに忘れてしまう記憶障害をもっていた。そうすると見当識障害を併発するのだそうで、しばしば、自分が今なぜここにいるのか分からなくなった。

 そういうときに、母はよく「おねえさんはどこ?」と聞いた。母の姉はもう20年前になくなっているのだが、母にはその記憶がない。そのたびに「おねえさんはもういないよ、20年前になくなったの」というのだが、またしばらくたつと同じことを聞いてくる。

 また、ベッドに寝かせてしばらくすると、ベッドからむっくりと起き上がって、明日のごはんがあるか,ちゃんと電気釜にセットしたのかと何度も確かめに来た。私はそんな母を「1むっくり」「2むっくり」と数えていて、「これで4むっくりだよ。今日は何むっくりするかな、楽しみだな」といったりしていた。最高記録は17むっくりで、これは私のいないときの記録であった。

 見当識障害になると、ひとの記憶は自分が一番輝いていたときに戻るそうだ。これによると母の一生で一番輝いていたときが、母のおねえさんと一緒にいたときだったということがわかる。

 そしてもうひとつの輝いていたときの母の記憶は、食べ盛りの子どもを4人抱えて明日のごはんがあるのかどうか心配だったとき、つまり子育てが一番大変だったときに戻っているのである。私たち子どもには、明日の食べるものがなかったという記憶はないのだが、母はそのためにどれくらい苦労したのかということが想像される。そしてそれが母のもっとも輝いていたときだったということになる。一番大変だったときが一番輝いていたときだったということを知って、私は何だか救われた思いがしたものである。

(60代 男性)