吉田由香Pic.jpg 生きる希望の書

 


2011年東日本大震災での福島原発事故から12日後、東京の水道水の放射性ヨウ素が暫定基準値を超えた。当時1歳の息子を抱えた私はパニックに陥った。たまたまその時、私は教会にいたので通りかかった神父様に訴えた。「大変なことになりました。どうしたらいいでしょうか。」神父様は私に「座りなさい。これを読もう」と次の日曜日の「聖書と典礼」を出してきた。「これからどうしたらいいかを知りたいのです。聖書を読んでいる場合ではないんです。」と神父様に強く当たりながらも私は座った。

 

不思議なことに次の日曜日の箇所は「水」がテーマだった。第一朗読 出エジプト記17:3-7 ホレブの水。福音朗読 ヨハネによる福音4:5-42 サマリアの女の話。どちらも命の水は神から与えられるという箇所だった。そして答唱詩編は 詩編95「きょう、神の声を聞くなら、神に心を閉じてはならない。」だった。

私は神父様に聞いた「神様の声なんか私には聞こえません。放射能入りの水をどうしたらいいかなんて教えてくれません。」

神父様「どうやったら神の声が聞こえるとあなたは思う?」

私「(沈黙の後)神様の声は直接には聞こえない・・・でも神様は人を通して働きかける・・・」

神父様「あなたの場合は誰に?」

私「私の親しい人。最も親しいのは・・・夫。夫の声を聞くという事ですか?」

神父様「サマリアの女は耳をふさいでいたから、最初イエスが言っていることがわからなかった。イエスと問答しているうちにやっと『真理の声』が聞こえてくるようになった。あなたも夫と話す時は耳を澄ませなさい。ああ言ったらこう言って反論しようとか、夫の言う事なんて信じられないと身構えたりしてはいけないよ。」

私は心を見透かされたかと驚いたが、次第と心が落ち着き、コクリとうなずいた。

そして神父様は言った「聖書を読みなさい。2千年もの間、人々が苦難や絶望の時に聖書を読んで生きる力を得たのだよ。あなたは聖書を信じるの?それとも人間の思惑や愚かさで操作されたようなニュース記事を信じるの?こういう時こそ信仰だよ」。

 

それから数カ月後、神父様は急に天国へ旅立った。「聖書を読みなさい」は私への遺言となった。2年経ち、私はやっと聖書通読を始めた。空を見上げて私は言う「ついに申命記を読み終えましたよ。」するとどこからか聞こえてくる「お、がんばってるね。聖書ってすごいだろう。」そうやって励まされながら、私は少しずつ希望の書のページをめくっている。

 

(40代 女性)