出来事を通して語る神
 神はただ現存されるだけでなく、私を求めておられます。神は私に語り、働きかけ、ご自分に引き寄せてくださるのです。観想的な生活とは、静けさの内に静かになることだけではなく、毎日の出来事や生活に現存し私とかかわり合おうとする神を意識して、その愛の中に生きることです。
 ヘブライ語で、ダーバールという言葉は、「言葉」でもあり、同時にまた「出来事」という意味もあります。一つの言葉で二つのことを表すこの言葉の深い意味は、神が言葉を通しても、出来事を通しても語りかけてくださるということです。出来事も言葉なのです。それに気づけば、少しずつ自分に起こる出来事の意味を意識していくでしょう。
 出来事のメッセージを、出来事の起こっているその時に聞くことは、観想的生活の理想と言えるでしょう。しかし、その時にできなくても、せめて一日の終わりに、あるいは余裕のある時に、その日の出来事を思い起こして、その時の感情や心の動きを思い浮かべ、その出来事、その体験、その感情を通して神のメッセージを追求するのです。
 例えば、仲間とのけんかとか、新聞で読んだ記事とか、朝飲んだ飲み物の最初の一口の味とか、自分を失った時の空しさ・・・すべてが神からのメッセージです。そのメッセージを聞き取って意識することを「意識の究明」と言います。それは、自分の中の意識を深めることを助けてくれます。
 意識することによって私たちはどれほど自分の人生を深く生き、自分のものとすることができるでしょう。意識を深めることは、自分を深めることです。また、生活の中で神を意識することは、神と共に生きることであり、自分の中に神が生きておられることを味わうことでもあります。意識を深めることによってこそ私たちは「神の人」になっていくことができ、同時に、本当の自己を見つけ、本当の自分になっていけるのです。
イシドロ・リバス 著 「祈りを深めるために(その1)―自分の人生の中で―」(新世社)
『自分の歴史の中で神を見つける』 より
(生活の霊性-祈りを深めるために 7)