観想的な祈り
 観想的に祈るにはたくさんの方法があります。その一つは、聖書の一つの箇所について考察してから、そこで得た気づきを味わい、そこにとどまる方法です。あるいはまた、神の愛、自然の美しさ等から出発して、そのありがたさや暖かさ等を味わう方法もあります。
 しかし、観想的な祈りは、このように具体的な対象で、それを個別的に味わうこともあれば、存在の奥義それ自体に浸って、それを味わうこともあります。観想的な祈りが深まれば深まるほど、「何かをする」ことよりも、心の持ち方、一つの存在の仕方となるのです。
 「今」にできるだけ全面的に現存して、それを生きることです。すなわち、宇宙や私の内に現存している大きな沈黙、豊かさを意識して、それを味わうことです。言い換えれば、私の内にも周りにも、上にも下にも、前にも後ろにもいらっしゃる方に心を開いて、御自分を明け渡して下さる永遠の今でいらっしゃる方に気づいてそれを受け入れることです。
 祈りは、奥義に現存することです。そのために、静けさ、沈黙、畏敬、礼拝、信仰等が一番ふさわしい態度なのです。
イシドロ・リバス 著 「祈りを深めるために(その1)―自分の人生の中で―」(新世社)
『今の自分で神を見つける』 より
写真: 山野内 倫昭
(生活の霊性-祈りを深めるために 11)