本当の自分で祈る
 たびたび祈ろうとする時に、神のことを考えると、日頃の自分から離れて突然かたくなって緊張し、良い子になって、自分には感情が何一つないかのように、自分らしさを捨ててしまうことがあります。でも祈る時、本当の私でなければ、「神と親しく」なれないのはあたりまえです。本音で話せないで、いつも建て前でしかつきあわなければ、いつまでたっても形式的なかかわりに終わってしまいます。祈祷書やミサ典書は公の一般的な祈りですから、美しい言葉で祈るのは当然でしょう。しかし、自分が個人的に神と語り合う時に、ありのままの自分を出さずに、仮面や鎧(よろい)を着けて、テープ・レコーダーのように決まりきった言葉でしか祈らないならば、親しくなれないのもやむを得ないことです。鎧とは誰も親しくなれないのです。
イシドロ・リバス 著 「祈りを深めるために(その1)―自分の人生の中で―」(新世社)
『神と親しくなるために』 より
(生活の霊性-祈りを深めるために 21)