自分の感情とともに祈る
 自分に一番親しいのは感情です。友達や配偶者などに、自分の寂しさや怒り、惨めな感じ、どうしょうもない不安などを打ち明けて、受けとめてもらえた時こそ、親しみを感じます。
お互いの親しさを生むのは、ありのままの自分、今の自分の感情をそのまま分かち合うことだと言ってもいいでしょう。もし、今のありのままの自分を神に打ち明けて、そのまま神に受け入れてもらっている実感にひたることができたら、何とありがたいことでしょう。祈りはちょうどこれなのです。もし、祈りがピンとこないでいやになって疲れるならば、祈っているのは自分ではなく、無理をして仮面を被った自分なのかもしれません。
 祈りが深いものになるか、それとも浅いレベルできれいごとに終わってしまうかは、これにかかっています。大切なのは、自分の心の平安を乱したネガティヴな感情(不安、寂しさ、イライラ、妬み、あきらめ、落ち込み等)に気づいて、それを祈ることです。祈りの中で、このネガティヴな感情を神に打ち明けて語り合おうとする時、神と本音でつきあうことができます。あるいは、今、自分が成長したい領域、求めていてもなかなか得られない強さや広い心、喜びなどといったニードを、祈りの中で、神とともに取り上げることは神との親しさへの道です。親友にさえ打ち明けられない悩みや自分が恥と感じることも神に打ち明けることです。「最近、心配事があるから祈れない」とか、「不安で、自分がまとまらないから祈れない」と言う人がいます。それは逆です。そのような心配や不安な気持ち、また、自分の醜い部分を神に打ち明けて、神と関わり合うことこそ本当の祈りなのです。
 祈る時、心を静めて落ち着いてから、最近、または今、自分の深いところにどのような感情が起こっているかを意識します。もし、「疲れ」なら、神に向かって何回も「疲れた」「疲れた」……、あるいは、空しくて満たされない自分を感じるなら「満たされない」「満たされない」……、あるいは何となく寂しいなら「主よ、私は寂しい」「孤独です」……等々唱えます。
 一つのことに注意してほしいと思います。自分のネガティヴな感情に自分一人で巻き込まれないことです。これは祈りではなく、自分を鞭打って殺すことに等しいのです。祈りは独り言ではなく、感情とともに神に叫ぶことです。「深い淵からあなたに叫ぶ」(詩編130)
 このように、今抱えていることや課題、失敗のもとや成長の領域などを見つけて、これらを祈りの材料にすることによって祈りは深められていくのです。
イシドロ・リバス 著 「祈りを深めるために(その1)―自分の人生の中で―」(新世社)
『神と親しくなるために』 より
(生活の霊性-祈りを深めるために 22)