父母なる神
 「神は父である」ということは真実ですが、人によってはあまりにも神を狭くしてしまいます。父親について悪いイメージを持っている人にとっては、特にそうです。神は親ではありますが、神には性がないのにどうして「父」にしてしまうのか、という説もあります。しかし、「神は父であり母である」というと、神は普通の人間や親と全く違って、すべてを超越するお方であるということを示します。そして、親の愛の特徴である「おまえにいてほしい」「おまえを絶対生かす」という強い希望を表します。
 神が「母」でもあるというと、妊娠と母乳の連想から、神との関係を非常に身近なものとしてとらえ、継続的に関わり合っているものとして示すことができます。
 また、「父」というイメージは、権限とつながるため、ある意味で上から支配し、人間に仕えられると、神には利益があるかのようにも思われる危険を持ちます(例えば王であるキリストは人々を上から服従させるというような誤解)。しかし、「母」というイメージは、もっと没我的で、神には利益どころか、ただ愛と生かす決断だけがあることを表します。自然界においてよく見られるように、自分の子供を必死に守る動物の母親の例をひき、そのように私達一人一人を絶対に守るという神の決断を表現することもできます。「母」なる神のイメージは、ピラミッド的な上下関係ではなく、むしろ逆さまにしたピラミッドのように、神が一番下からすべてを支え、存続させ、生かし、育てていることを示すのにふさわしいと言えます。
 また、「母」であるイメージは、神が利益や権力の世界に逆らって平等であり、どちらかというと、むしろ弱いもの、障害を持つものや、皆にいじめられるものを、特に守る神の姿も表しています。
 そして、人間だけでなく動物の世界や宇宙に対しても、すべての命を守る神として、エコロジーの時代には更にふさわしいイメージと言えるでしょう。
イシドロ・リバス 著 「祈りを深めるために(その1)―自分の人生の中で―」(新世社)
『神と親しくなるために』 より
(生活の霊性-祈りを深めるために 29)