私を“望む”神
 終戦後の1948年、日本は貧しい大変な時期でした。その中、母は40歳で私をみごもったのです。高齢出産の母の身を案じた近所の人は、母に、「法律(優生保護法)もできたし、おろしたら」と言いました。しかし、母は、「授かった生命だから産む」とはっきり答えました。こうして私は誕生したのです。
 私はこの話を初めて母から聞いたとき、その近所の人の反応が許せませんでした。けれども、その許せない気持ちは、当時の状況を思い返していくうちに、この近所の人と母とのやりとりがあったおかげで、私は親にとって待ち望まれた宝物である喜びと感謝へと変えられていきました。

 昨年の黙想期間中、自分自身の生命の誕生の神秘を味わうチャンスに恵まれました。驚いたことに、私が生まれるために、さかのぼって「天地創造以前から」(エフェソ1・4)、神はどれほどの準備をしてくださったことか‥‥。そして、私は、「まず神が私の存在を望まれた」ことが根底にあることに気づきました。
 前述の母の思いの奥に、神の「思い」「望み」がはっきり見えて、圧倒され、震えました。その感動は、今も続いています。日常生活の中でいろいろあっても、「私を“望む”」神の思いに触れると、安心して、元気が出るのです。
〈広島 55歳女性 事務員〉
(出来事に聴く 53 2004/3/26)