平和への痛み
 ポーランド出身のモントゥシェビチ夫妻は、23歳の長男を先頭に10人もの子宝に恵まれている。2人目の孫もじき生まれる。49歳の夫リシャールと47歳の妻ルッチーナは、お国では共に大学で教えていた。3人目の子マチウスに障害があったとわかって、夫妻は苦しんだ。しかし、この障害を「神の恵みの源」と受けとめられるようになったときに、自分たちの生き方として「宣教家族」を選んだ。
 「宣教家族」とは、普通の信徒の家族が希望して、バチカンの教皇から祝福を受け、どこへでも送りこまれていく。宗教の押し付けが目的なのではない。それぞれの派遣先で、地域の人々と共に生き、苦楽を分かち合いながら、互いに、平和な世界を実現するための遠い道のりを歩む。
 モントゥシェビチ夫妻が5人の子持ちだったとき、一家はソ連のチェルノブイリに派遣された。ポーランドの学校はロシア語が必修だったので白羽の矢が当たったようだ。敵の中に飛びこんで、自分と家族を裸で明け渡してしまうようなことになる。しかもあの原発事故から5年目のその土地。時が経過して被害も拡がり、住民はどんどん故郷を捨てて、遠い地に安全を求めて逃げていた。こともあろうになぜこんな地に、わざわざやって来たのかと、人々は訝(いぶか)ったそうだ。一家の生活は始まり、チェルノブイリに根は深まった。授かった6人目の子マーチェは病弱だった。かの地の刻印を受けたのだろうかと、夫妻は考えている。
 後にイスラエルへの派遣となった。家族は10人になっていた。首都テルアビブに職はなかなか見つからず、ようやく得た仕事は学校の掃除夫だった。イスラエルでは、ユダヤ人のユダヤ教、アラブ人のイスラム教が大半を占めている。キリスト教は各派を合せても少数である。「苦しい生活。貧しい日々。障害のある子まで抱えながら。この町で暮らし続けることにいったい何の意味があるのか?」人々の問いに答えるのは、口でする説明ではない。一家の生活をありのまま、丸ごと、ここで、見てもらうこと。
 テルアビブで授かった12番目の家族ヤーシュは、今5歳になる。子供たちの果たす役割は大きい。子供たちを見て、アラブ人もユダヤ人も異句同音に「神は誉むべきかな」と言ってくれる。これは神様のわざ。
 一家は経済的にもギリギリ(以下)の生活をしてきた。肉が買えず、いつも豆、の日々も続いた。夫婦間の危機も数えられぬほど繰り返された。あわや、というところで、いつも、奇跡のようなことが起こって、出口が示されたという。
 その一例。日本人の巡礼の一行が帰国前にこの家に立ち寄った。その中の一人が、もう帰ってしまうから、と残った53ドルをリシャールに差し出した。彼は仰天し、泣き出さんばかりになった。詰まっていたトイレの修理代が払えず、万策尽きていたところだったのだ。請求額が、何と、ピッタリの53ドル。こんな不思議を一家はいくつも体験している。

 国でなくて/神の歴史は/誰が書くか/日々地の民たる/私たちが書く
〈東京 60歳女性 主婦、時々教師〉
(出来事に聴く 54 2004/4/9)