映画「パッション」を観て
 この3月、勤め先のミッションスクールの語学研修生のエスコートとして、北米に行く機会に恵まれた。メル・ギブソン監督の映画「パッション」は、教会でもホストファミリーの間でも、話題になっていた。自由時間の取れたときに、観に行った。
 学生のひとりがすでに先に観に行っていた。最初の週末にホストファミリーに連れて行ってもらったらしい。彼女は聖書のできごとはひととおり知っている学生だった。にもかかわらず、「もう気持ち悪くて、壁にかかった十字架も見れない!」とショックを語っていた。
 それを聞いたとき、ひとりの転入生にまつわる出来事を思い出した。あるとき、その転入生が、教室に架けてある十字架を見て、「どうしてあんな残酷な磔の十字架が、どの教室にも飾ってあるのですか?」と不思議そうに尋ねた。確かに、人が磔られた十字架はそれだけ見れば、痛ましくて、残酷なものに違いない。そのとき、わたしは「これほどまでに、私たちが神さまに愛されているということなのよ。」と答えたのを覚えている。映画を見た学生の気持ちも彼女と同じではないかと思えた。どうしてあのような残酷な映画を作るのか……、どうしてイエスはあのような仕打ちを受けたのか、……と。
 確かに映画は悲惨で残酷なものだった。事実があれほどのものだったのか、そうではなかったのか、誰も知る由もない。たとえクリスチャンでも「人間がこれほど残酷になれるものか」ということの方がショッキングな印象として残った人も少なくないと思う。
 わたしも覚悟して観に行ったものの、ただただふるえて泣きながら観ていた。残酷な鞭打ち、十字架の道行き、十字架刑……これでもかと続く苦しみを黙って耐えぬき、ひたすら赦し続ける姿……。恐ろしくてふるえていたのも事実だが、これほどまでに愛してくださったのだ……と、感じて涙が止まらなかった。そして、「十字架に従って行く」とことの厳しさを味わっていた。いままで、ことばでこのことを表現していたにもかかわらず、そのお苦しみや痛みをどこまで感じることができていただろうか。主はわたしたちを救うために、この苦しみにご自分から向かってくださったのだ。かつて、転入生に「これほどまでに愛されているということなのよ」と語ったわたし自身は、いったいそれをどれだけ身に染みて感じていただろうかと考えた。
 いまは帰国して、新学期も始まっている。教室にある十字架の上のイエスの姿……、以前と同じように、授業中に目を向けることなどほとんどない。しかし、「これほどまでに愛してくださってる」その方の愛を感じて、それを伝えて生きていきたいという思いを新たにしている。
〈三重 43歳女性 教員〉
(出来事に聴く 55 2004/4/23)