
- 生きる希望の書
- 「さなぎの食堂」
- 母が最も輝いていたとき
- 「誰か」とは「私たち」
- 石との対話
- 私の役目
- ロザリオ
- 若者の心
- ペトロ
- ゴタゴタの中で
- 他人のおが屑
- 大事なことは何ですか?
- 残されたものの思い
- ロザリオの思い出
- 取り去られて
- 兄から教わったこと
- 北京への道
- 幸せのレシピ
- 主が炭火をおこして待っておられた
- イエスは足を洗われた
- 子どものようにならなければ
- アルツハイマー型認知症の方からいただいたもの
- 靴の修理
- 病院で出会ったイエスさま
- そろばん検定
- 感謝を伝えたくて
- 十字架称賛の祝日に
- 四季の実り
- 共にいる
- 千の風になって
- 笑顔のプレゼント
- 野球の魅力
- 痛むことで学んだ感謝
- 主とともに、苦しむ人とともに
- 神の息吹に乗って
- 友情
- 犬との散歩道で
- 小さい命との出会い
- ある福祉事務所で
- 「信じる」こと
- 電車のなかで
- 神さまの計らい
- イスラエル巡礼でいただいた恵み
- 無言のめぐみに浸る
- 救急の看護から
- 教会―感情の交差点
- 苦しみをとおして
- 小さい者の中に私はいる
- 幼子のようでなければ
- 社会的引きこもりからの・・・
- 傾聴ボランティアから居場所づくりへ
- ベトナムのスラムで
- 子供を授かって
- いのち
- コーチング
- 調剤薬局からの福音
- カンボジアの旅
- 神様の不思議な配剤
- イエスからイエスへ
- 愛するイエスさま ―黙想と息子をとおして―
- 完膚なきまでに神に負ける
- サラリーマンと天職
- WYDをおえて
- 未来をつくる仕事
- 上司の姿から神さまは
- 小さい赤ちゃんをとおして
- イエスがくださる希望と平安
- 金持ちが神の国に入るよりも・・・
- イエスさまのABCモデル
- 病いを通して
- 「今時の」中学卒業式
- 祈りとの出会い
- 神様のお働きと人の祈り
- ラーメン屋さんの慈愛
- バリアフリー考
- 寝クリスマス
- だいじょうぶ
- 日本にいて支援する
- 祈り
- 平和のために何かを
- 僕らにできること
- 償い
- 演出は神様
- 巡礼
- Kさん来ました!
- 卒業生からの電話
- 娘の帰還
- 委ねる
- 弟が召し出されるまで
- 沖縄慰霊の日に
- 子どもは11人
- パレスチナのネガ像、日本
- 「仕方がない」と言わない
- たくましくなったA君
- 今を一生懸命生きる
- プールサイドにて
- 映画「パッション」を観て
- 平和への痛み
- 私を“望む”神
- 花嫁の父

せせらぎ
閲覧数 : 2011
2011.02.08 (13:54:58)
「仕方がない」と言わない |
![]() さて、私の半生で、とても事情がむつかしくなったことがひとつありました。それは、次のようなことでした。私は、ある幼稚園で、9年間教諭として勤めていました。その続きの年にこの幼稚園が、都合によって、私たちの修道会の方に経営移管されることとなりました。私の以前の関わり方から、当然な成り行きで、園長職への就任を要請されました。私は、落ち着きと平坦な心とで、その要請をお受けしました。 修道会の意向とも相談したり、自分の経験で理解してきたこととも照らし合わせて、私は、財務上の経営の移管ばかりでなく、教育方針の転換もはかって行くこととしました。 教育方針としては、宗教的な内容を豊かにして行くようにしたい、そのために具体的には、モンテッソーリ教育の方法を取り入れたいと願いました。このおりには、園の教職員スタッフの教育技術や方法上の整備も満たす必要が出てきました。幾人かのスタッフにいわば“新戦力”も必要になりました。関係者は皆で、より良い道を捜し合いました。私は、園長職を1年の間、お引き受けしながら、動きを見させていただいていました。そして、この年度の後半に、私にも修道会にも、あるべき線が見えてきました。 幾人かの配置転換と研修派遣で“新戦力”が得られました。園長そのものも、さらに新しい世代へと移ることとなりました。私は、全体の動きが十分に解りましたから、別の幼稚園の管理職へと移ることを、快諾しました。 この出来事のなかで、私は、すべてを神様と相談しながら、見ていました。任せられていた幼稚園が発展するために、現実に足をおろしたより良い動きをひたすら捜しました。結果的に少々珍しい人事の線が現れました。けれども、私はいちども「仕方がない」という思いになりませんでした。神様とともに、「今の進み方はいい」と感じながら進んだのでした。 私は、人生を精一杯神様にお捧げする日々に、けっして「仕方がない」と思ったり言ったりしないことにしています。心の底から自分を捧げようとする日々に、「仕方がない」という思いは、打ち消され、信頼に変えられるからです。 |
〈長崎 72歳女性 修道女〉 |
写真: 山野内 倫昭 |
(出来事に聴く 59 2004/6/18) |
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