「仕方がない」と言わない
 私は、どんなことに出会っても、「仕方がない」ということを言わないように心がけています。ときどき、まわりから「仕方がない」というつぶやきの声が聞こえてきますが、私はそういう声が好きではありません。
 さて、私の半生で、とても事情がむつかしくなったことがひとつありました。それは、次のようなことでした。私は、ある幼稚園で、9年間教諭として勤めていました。その続きの年にこの幼稚園が、都合によって、私たちの修道会の方に経営移管されることとなりました。私の以前の関わり方から、当然な成り行きで、園長職への就任を要請されました。私は、落ち着きと平坦な心とで、その要請をお受けしました。
 修道会の意向とも相談したり、自分の経験で理解してきたこととも照らし合わせて、私は、財務上の経営の移管ばかりでなく、教育方針の転換もはかって行くこととしました。
 教育方針としては、宗教的な内容を豊かにして行くようにしたい、そのために具体的には、モンテッソーリ教育の方法を取り入れたいと願いました。このおりには、園の教職員スタッフの教育技術や方法上の整備も満たす必要が出てきました。幾人かのスタッフにいわば“新戦力”も必要になりました。関係者は皆で、より良い道を捜し合いました。私は、園長職を1年の間、お引き受けしながら、動きを見させていただいていました。そして、この年度の後半に、私にも修道会にも、あるべき線が見えてきました。
 幾人かの配置転換と研修派遣で“新戦力”が得られました。園長そのものも、さらに新しい世代へと移ることとなりました。私は、全体の動きが十分に解りましたから、別の幼稚園の管理職へと移ることを、快諾しました。
 この出来事のなかで、私は、すべてを神様と相談しながら、見ていました。任せられていた幼稚園が発展するために、現実に足をおろしたより良い動きをひたすら捜しました。結果的に少々珍しい人事の線が現れました。けれども、私はいちども「仕方がない」という思いになりませんでした。神様とともに、「今の進み方はいい」と感じながら進んだのでした。
 私は、人生を精一杯神様にお捧げする日々に、けっして「仕方がない」と思ったり言ったりしないことにしています。心の底から自分を捧げようとする日々に、「仕方がない」という思いは、打ち消され、信頼に変えられるからです。
〈長崎 72歳女性 修道女〉
写真: 山野内 倫昭
(出来事に聴く 59 2004/6/18)