パレスチナのネガ像、日本
 この2月にパレスチナを訪問した時のことである。
 前日、エルサレムで自爆テロがあり、以前自爆攻撃者がここアイーダキャンプの出身だったので、いつイスラエル軍の報復攻撃があるかわからず、皆家の中にこもって息をひそめている。
 「自爆者の家が突き止められると、砲撃されてこうなります」と示された一角は、コンクリートの瓦礫と突き立った鉄骨の無残な山。他所の外壁は水玉模様状に貫通した穴がある。「マシンガンの弾痕です。」
 選挙ポスターのように外壁に貼り出された多くの顔写真。若い男性。子供の顔もある。銃を掲げ、アラブのストールを巻いている。「これは殉教者リヤド。彼の父も自爆している。弟は捕らえられている。」壁に吹きつけたスプレーのアラビア文字は殉教者を誉め賛える言葉だ。10歳位の少年が写真を示した。「兄さんだ。殉教者だ。僕の憧れだ。大きくなったら、僕も殉教者になる。」笑顔の真ん中で大きな瞳が輝いていた。
 1948年にキャンプが設営されて以来、皆ここに住み続けている。大人は80~90%仕事がない。前はイスラエルに出稼ぎに行ったが、今は分離の壁に閉め出されている。家族は狭い家に住み、浄水排水の設備はない。電気ガスはイスラエルから買う。寝起きする部屋で火も使うので、生活は不衛生で危険。親たちは子供に食べさせてやれないと嘆く。子供は占領の意味を知らず、自分たちを苦しめるイスラエルを恨む。歴史を貫く紛争と憎しみの連鎖の中、命を賭して敵に立ち向かうことは聖なる使命、英雄的行為だと信じて育っていく。
 ベツレヘム大学でクリスマス・ミサを司式した司教が語った。「説教は誰も聞いてなかった。身も心も荒れていて聞く耳を持たないのだ。最後に話した。あなた達の子は戦争の体験しかない。子供達にたくさんの愛を注いで下さい。戦争の中だけでなく、愛の中にもまた、生まれたということがわかるように。」
 日本に帰ってから、私は一中学校の現状を知った。「タバコ。授業ヌケは日常茶飯。先日は3階から椅子が降った。親には連絡が取れない。」‥‥あまりのギャップに言葉が出なかった。これが日本だった。一方でパレスチナの子らは、衣食住に事欠き、命の危険にさらされている。しかし家族友人らは思いやりと強い絆をもって生きている。ユダヤ人とアラブ人の間にも地域の草の根では助け合いと信頼があった。他方、日本はまるで逆で、彼らの持たぬものを、みーんな持っていて、しかも有り余っている。そして彼らが大切に握っているものを、私たちは見失って荒れ果てている。
 日本だって、暴力の前に負けず劣らずアブナイのだ。
 命を慈しみ、人と人とが手と心をつなぎあっていく助けとなるために、私の日常の中で何ができるのか、祈りながら地道に探っていきたい。身近な人とのどんな小さな関わりも、私の今の一歩が、パレスチナと日本の両方の人々につながっていることに気づいたから。
〈東京 60歳女性 主婦、時々教員〉
写真: 聖地のこどもを支える会
(出来事に聴く 60 2004/7/2)