子どもは11人
 私の父と母とには、それぞれ人生の困難がありました。父は、戦地に出征しいく度も死の危険に会いました。母は、あまりにも痩せていて、子どもなど産めないのではないかと、懸念されていました。けれども、不思議です。そういう父母に、11人もの子が与えられたのです。
 私は、その長女。
 次から次へと子どもが増える家にあって、子育ては、もう大問題です。母は「お姉ちゃんの言うことは、親の言うことと同じ」と私に権威をもたせて、私を多くのところで、親代わりにしました。私は、小さいときからその責任を感じ、また、弟妹が増えるほどに子どもが好きになっていって、小さい子を囲んで、笑い声の絶えない日々が与えられました。この家庭の中で、私はいつも幸せを感じて大きくなりました。
 もちろん、大変さが無かったわけではありません。兄弟げんか。嫁姑の確執。でも、そんなとき、一人ひとりが神様のみ前に悔やみ、お詫びをしました。
 そもそもわが家の信仰の発端には、その昔、次のようなエピソードがありました。
ノンクリスチャンだった祖父母は、その長男を20歳の若さで失うこととなったのでした。その人が私の父の兄でしたが、彼は、カトリックの信仰を得て、とても穏やかに、祈りのうちに臨終を迎えたのでした。その美しいありさまをつぶさに見ていた祖父は、わが子ながら何とあっぱれであるかと感動し、伯父の耳元で、思わず「お前の信仰を受け継ぐぞ」と叫んだと言うのです。伯父が「それは何よりも嬉しいです」と最後の答えをつぶやきました。祖父母は、その言葉にしたがって教会に通い始め、ここから多くの実が結ばれました。
 朝夕の祈りは、いつの頃からか私の担当で、「お祈り~」と声を張り上げると、弟妹が祭壇の前に集まり、一斉に祈りの声が上がりました。「イエズス、マリア、ヨゼフ、心と霊魂とをみ手にゆだね奉る」という一連の祈りです。母は、たいていは同席できず、食事の準備とか赤ちゃんの世話をしながら、心と口とだけの参加でした。「神様が一番よいようにして下さる」「何をしていても、神様がご覧になっておられる。」これが母の口ぐせでした。
 波乱の多かった父の人生にも終幕のときが来ました。最期の枕辺に、皆が駆けつけました。末っ子の中学生も揃ったその席で、私が「イエズス」と口にすると、すぐに、あの慣れ親しんだ祈りの唱和の調子となりました。こうして、全員の心が全くひとつになった唱和のうちに、父を送ることができたのでした。
 私が、いま在俗奉献者の召命の道を歩んでいる原点には、子どものときからイエス様を身近かに感じ、感謝と喜びを持つことができた、そういう体験があるのです。
〈北海道 60歳女性 在俗奉献者〉
(出来事に聴く 61 2004/7/16)