沖縄慰霊の日に
 6月23日、「慰霊の日」に合せて沖縄に行ってきた。この日は沖縄戦の「終結」の日ではなく、この日の後も、集団「自決」や病気、ケガなどによって多くの住民が命を落とし、この6月23日が本当に「終結の日」だったらどんなによかっただろうかと思う。沖縄はこの日、県の休日で学校も(たぶん会社も)お休み。人々がそれぞれの形で「慰霊」をする。県の式典や、市民集会での戦争体験のお話、踊り、歌、平和行進(本当に暑い中たくさんの修道服を着たシスターたちが歩いておられた!)、戦跡や「平和の礎」での慰霊‥‥。

 沖縄戦については、一年ほど前に、映画上映会とシンポジウムを大学で開く機会をいただき、そのときは、いっぱい本を読み、いっぱい仲間と話し合った。沖縄戦のことをウチナーンチュ(沖縄の人々は、他府県人「ヤマトンチュ」に対し、自分たちのことをこう呼ぶ)の立場で考え学ぶことができたと思っていたけれど、来てくださったウチナーンチュの方に「ここでもまたヤマトとの温度差を感じました」という感想をいただいた。このときはとってもショックで「なんで?!」って思い、それからは「当分沖縄のことはいいや‥‥」と、なんとなく沖縄の勉強を続けることを避けていた。
 それから一年、こうやって沖縄に実際に行き、「慰霊の日」を共に過ごすことができた。私たちに「温度差」を指摘してくださった方は沖縄で平和ガイドをなさっているのだが、彼女にガマ(天然壕)を案内してもらい、いろんなお話をさせていただいた。私はこれまで「過去」としてしか捉えられていなかった沖縄戦を、過去・現在・未来をつないでいる一本の歴史の中に位置づけられた気がする。沖縄にとって沖縄戦は「過去のこと」として終っているのか、なんでこんな経験をした沖縄に今も基地があるのか? 日本の中での沖縄ってどういう立場にあるのか?‥‥
 彼女が話してくれた言葉―「『これからも頑張ってください』とおっしゃる方がいるけれど、もう私たちは限界まで頑張っている。むしろ、本土に住むあなた方に、本土にいるからこそできることを頑張っていただきたい。」
 本土に住む私は、「当分沖縄のことはいいや」と言って距離を置くことができる。でも、基地と共に生きる人たちは?? そこにある問題から逃れることができない人に対して、自由に選択できてしまうこと、してしまうことの無責任さを反省した。もし、米軍基地があることで日本の「平和」が守られているのだとしたら(そうは思わないけれど)、その「平和」の恩恵を受けているのは本土に住む私たちだ。基地を抱える沖縄の人には、その「平和」のためのしわ寄せしかいっていないように思う。(基地によって地域経済が成り立ちそれで生計を立てている人がたくさんいることは事実だが。)ある一部の人にとっては「平和」で、ある一部の人にとってはそうではない、というのは真の「平和」とは言えないのだろう。
 今こそ、一人一人がそれぞれの立場で、平和のために動き頑張らなくてはいけない。平和を求め願うだけでなく、「わたしをあなたの平和の道具にしてください」「平和のために私を力づけてください」、こう祈り、頑張っていきたいと思っている。
〈東京 21歳女性 学生〉
写真: 山中 恭子
(出来事に聴く 62 2004/7/30)