弟が召し出されるまで
 私の弟と祖母との関係は、かなり数奇なものだ。
 この祖母に言わせると、弟は、「一番きかないけれど、一番優しい」という。
 そもそも、祖母は、2年間に5人もの子を亡くしたのだった。また、その後2人を修道者として捧げ、あつい信仰の中に生きていた。「祈りには、天国の祈りと修道院の祈りとがある」とよく言っていた。祖母の働き者ぶりも、並のものではなかった。息子夫婦が11人の子を授かったため、その世話をすべく、母を助けて懸命に働いてくれた。祖母が身体を動かさないでいる時は、寝ている時と祈っている時だけ。祭壇の前で、ロザリオを手にして長い間祈っている姿を思い出す。いつから準備していたのか、78歳で臨終を迎えた時、祈祷書の「臨終の祈り」を暗記して唱えた。
 さてこの祖母と、いわくの深かったあの弟は――正義感が強く、小学校の1年生の時に、自分の友だちをいじめた6年生に、1人で闘いを挑んだ。この武勇伝は、近所に知れ渡った。
 祖母は、この弟のために祈りを始めた。なんと、神父になれるようにと神に願い始めたのである。父母も、同じく祈るようになった。どの息子をということはなかったが、こんなにも大勢の子を授けていただいたのだから、誰かひとりはお捧げしなければと、神様にお委せして祈っていた。
 その弟は、その後、きかん気がますます強くなった。「俺は、神以外は何も怖いものは無い」と言っては、姉の権威にもさからい、父母が大黒柱として大切にする祖母にも反抗した。
私は、この弟の行く末を案じ、この弟が生かされる道は、神父の道しかないと思うようになった。そして、弟の神父への召し出しを祈るようになった。「弟を召し出して下さるなら、自分の命も惜しくはない」という思いだったのは、大げさではない。
 本人はといえば、「神父、修道者にだけはしないで下さい」と祈っていたという。
 私が、在俗会の志願者として出発しようとしていたある日、高3になっていた弟が突然言った。「お姉さん。僕も行くよ。」
 神様は、深いおはからいの中で、弟を修道会に入会させて下さった。その陰には、祖母をはじめとする家族の祈りがあったが、他にも祈って下さった方々がある。そのうちの特筆すべきものは、主任司祭の祈りだった。
 神様は、長い間、弟の召命を支え、導いてくださった。感謝、ただ感謝のほかはない。
〈北海道 60歳女性 在俗奉献者〉
(出来事に聴く 63 2004/8/13)