寝クリスマス
 私には、3人の息子があります。予備校に通う長男及び、大学1年と中学3年です。息子たちは、信仰の面からみると難しい年齢にあります。その時、その時の状況に応じて細かい配慮を心がけ、いつも祈っています。
 この度のクリスマスに、母親としての自分自身の状況とはうらはらに、子供たちには好感のもてる姿が現れました。
 私自身は、クリスマスを迎える直前には、疲労が極度に大きくなっていました。家族の通院、病気が疑われる自分自身の不調とそれに伴う検査、家の改修、長期的な仕事のミーティング、年末年始の準備など種々のことが重なったためです。
 それでも、クリスマスイブには0時のミサに行きたいという長男の提案で、皆で行くことに決めていました。しかし――、家族の者は一様に疲れの中にいたようで、皆寝過ごしてしまったのです。気が付いたのは午前3時。時遅しでした。
 25日の日。夕方になっても調子が出ません。夕方のミサの出席は諦めました。そういう中、7時過ぎに長男から電話が掛かってきました。「何で誰も来ていないの?」 日曜日のミサは夕方6時に出席することが多いので、クリスマスのミサも自分から夕方に出かけたようでした。私達が行けなくても長男が代表して行ってくれて「神さま、ありがとう」と何度も歌うように唱えました。
 二男は昼間、祖母のところに花束を携え、クリスマスプレゼントを戴きに行きました。そばにいた叔母に「子供の頃から強制的に教会へ連れて行かれて、クリスチャンはかわいそう」と言われたそうです。それに対してどう答えたかと聞くと特に答えなかったとのことです。それについての二男の意見を聞くと「そういう家に生まれたのだからそれでいいと思う」と言いました。自分なりに納得している様子で、不要な衝突は避けた行動を取り、本当に良かったと思います。二男は主日のミサに行こうとしないけれども、信仰を肯定的に捉えていることがはっきりして、今の方向でまっすぐに伸びて欲しいと願いました。
 翌日の主日は聖家族の祝日。まだ力が湧いて来ず、とても出かけられない 状態でした。夕方になっても状況は改善せず、またミサ出席を断念しました。今度はやはり7時ごろに三男から電話がありました。クラブ活動の練習を終え、いつものように夕方のミサに行ったようです。「どうして来なかったの?」 以前でしたら、とかく責めるような口調になりましたが、具合が悪かったことを説明するとすぐ納得しました。少しずつ大人になっている三男が頼もしく感じられました。
 ミサに参列は出来ないクリスマスでしたが、子供たちがそれぞれの立場で、それぞれのやり方で自分の道を歩み始めているのを実感することが出来ました。私がいなくても自主的にミサに行ったり、適切な対応を出来たりしたことがどれほど悦ばしく感じられたことでしょう。「主よ、どうぞ子供たちがあなたのお望みをしっかり聴き取り、まっすぐその道を歩めますように!」 神さまの恵みに心から感謝した“寝クリスマス”でした。
〈東京 50歳女性 主婦〉
写真: 中司 伸聡
(出来事に聴く 76 2005/2/11)