バリアフリー考
 最近、スペシャルオリンピックスを知ったことを機に、バリアーについて思い巡らすことが多かった。
 『スペシャルオリンピックス』の著者から本をいただき、知的発達障害者のスキーやスケート競技などの冬季世界大会が、2005年2月26日から長野で開催されることを知った。前の勤務先でボランティアセンターを担当し、授産施設の方々と関わっていたが、スポーツの成果を発表する世界的な場があることを聞いたことがなく、本を読みながら私の無知が取り除かれ、新しい世界が開かれていく思いがした。知的障害者に対する私の理解の少なさが、私自身でバリアーを作っていたことに気づかされた。
 タイの奥地に住むカレン族のところでホームスティをしてきた学生たちが、体験談を分かち合ってくれた。「いのちに触れてきた」「人の糧になることによって人は生かされる」と熱く語る彼女たちは、自分の中に宝を見つけてきたと感じた。言葉や生活習慣の違いなど、大きな問題ではなかったと語ってくれた。スペシャルオリンピックスについて話しをしたら一人の学生が言った。「障害者の方に障害があるのではなく、人との間にただ障害が横たわっているだけですね。」その思いに深く共感した。
 中米に研修に行っていたシスターを、成田空港まで出迎えに行った。帰り道、都心の暗闇に輝く摩天楼を見ながら貴重な体験談を聞いた。わからなかったスペイン語の日常会話も理解できるようになった、と喜びながら語ってくれたなかで、「スペイン語がわかるようになっても、相手に対する信頼の度合いによって相手の話す言葉の理解度が異なった」という話が心に残り、言葉より相互信頼の大切さを感じた。
 図書館から吉村昭の『海の祭礼』を借りて読んでいる。鎖国中の日本に憧れたアメリカ人青年マクドナルドから、本物の英語を学んだ長崎通詞森山栄之助の話である。マクドナルドと同じ時期、日本に漂流した14人のアメリカ人の姿も描かれている。異国人に接し戸惑う日本の役人の姿、そして自分の意志で日本にきたマクドナルドと、意志にかかわりなく流されてきたアメリカ漂流民の、日本人に対する態度の相違などが興味深い。相手にどのようなまなざしを持つかによってバリアーの高さが変化していく。
 スペシャルオリンピックスをきっかけに、バリアーについて思い巡らしたのだが、バリアーは相手にあると思っていた自分に出会い、バリアーを自分自身で作っていることなどにも気づかされた。相手を信頼していくこと、相手に心を開いていくこと、まさにそれは神様が私に求めておられること。神様に私を委ねていけばいくほど、人に対する信頼が深まり、バリアーが小さくなっていく。神様、「バリアフリー」とは私の全てをあなたに委ねきっていくことですね。
〈東京 53歳女性 修道女〉
(出来事に聴く 77 2005/2/25)