神様のお働きと人の祈り
 お勤め帰りにK子さんがカトリック教理の勉強を始められたのは、2003年11月のことでした。そのきっかけになった経緯をここに書かせていただきます。
 話は、K子さんの親友M子さん夫妻のことにさかのぼります。その、M子さんは、夫婦ともどもカトリック信徒。けれども、教会には満たされない思いで、夫君のS男さんと、教会以外のスピリチュアルな研修の場に出向いたりしていました。その事を耳にして、私は何とかしたいと思う余り、自分の修道生活の「ありのまま」を話しました。「修道生活も人の集まりである以上、喜び、苦しみ、悩み、悲しみは尽きないものですが、『神様に出会う』という体験さえあれば『主において幸せ』であり、『主のくびきは軽い』。そして、もし、又、再び生命を与えられるならば、同じくこの修道生活を選びたい」と。――このとき、併せて、M子さんS男さんに、個人的な同伴をしてもらえる祈りの集いへの参加を勧めました。
 さっそく、S男さんが参加されました。彼は、行き届いた指導に「心の深い平和と大きな喜び」を得て戻りました。M子さんは、ご主人の心から湧き出る喜びの泉を感じとり、ご自分も同じ祈りの集いに参加し、やはり感謝のうちに戻りました。
 このままではもったいないと感じたM子さんS男さんは、個人指導による一週間の黙想に参加することになりました。それぞれ、別の機会を得て、一週間を努められました。長い黙想会には二人とも初参加でしたが、無事に終ったというだけではなく、心の底からの喜び、嬉しさ、明るさ、平和・・・・すなわち、聖霊の賜物で満たされ、「主に出会う」という「霊的体験」を頂いたのでした。その喜びを全身全霊で伝えてくれるM子さんの姿に私も感動しました。
 この、溢れるばかりの喜びは、まわりの人々を感動させる力をもっていました。M子さんの親友であるK子さんにも当然影響が及びました。M子さんの不思議な迫力ある話し方に、すっかり傾倒して、「最初は驚いたけれど、そんなにすばらしい信仰ならば私も勉強したい」と、K子さん。そして、冒頭に記したような勉強が始まったのでした。
 K子さんは、今年一月休暇を使って個人指導による一週間の黙想会に自ら進んで参加されました。私は感心し、彼女と主との「出会い」を祈りました。黙想を終えた彼女の顔は輝き、見えない神の恵みの深さに心が動かされたと知りました。その一ケ月後、K子さんは「神様の不思議な力に促されて、洗礼を受けたいと心から思いました」と述べられました。この決断をするにあたって、この世のいろいろなしがらみから解放されて、心の自由を得たと語ってくれました。
 一人の人が、神との出会いを恵まれるということは、神様のお恵みによる以外にないでしょう。――人の心の深くを神様が動かしてくださると信じますが、その恵みに添って「祈り」という、私たちの側からの「叫び」のようなお願いが聞き入れられるのではないかと思います。M子さん夫妻とK子さんのために、多くの方々の祈りと奉仕と善意があって、この度のように結実しました。
 今年、ご復活の善き日、K子さんはエリザベトの霊名で洗礼を受けられます。
 そして、引き続きK子さんの職場の仲間お二人がカトリックの勉強に来ておられます。これからも、この方々への祈りはずっと続くことになるでしょう。
 主に感謝! 関わって下さったすべての方々に感謝!
〈東京 71歳女性 修道女〉
(出来事に聴く 79 2005/3/25)