病いを通して
 70歳を過ぎた頃から、私の心の中に一種あせりに似た感情が芽生えてきて、年を経るに従ってそれが次第に大きくなっていくようでした。
 人生の最終段階を迎え、このまま無為に死を待つだけの生き方でよいのだろうか。神は私の今の状態をどう見ておられるのだろうか。このままで良しとして下さっているのだろうか。それとも私にもっと別の生き方を望んでおられるのではないだろうか。という疑問というか、迷いにとりつかれてしまったのです。
 毎日の祈りの中で神にお尋ねすると共に、日々体験するさまざまな出来事を通して、神からの私に対する語りかけを聞き逃すまいと、心にかけていました。会合などにもできるだけ出席して積極的に発言して、自分の存在をアピールしていました。そこまでして、関わりのある人たちと共に歩みながら、召命(神の呼びかけ)を待ちました。しかしその結果は、まわりの人たちの反発と拒否ばかりで、神からのメッセージを見つけ出すどころではありませんでした。「老いのあせり」というのでしょうか。私の心は次第にすさみに落ち込んでいくようでした。
 そんな状態にあったある日、今から1年ちょっと前になりますが、私は突然下半身麻痺に襲われ、緊急入院する羽目となりました。結局3カ月半の入院を余儀なく強いられ、人様の助けが無ければ一日として生きることができない状態になってしまいました。私は自分がまったく無力な存在になったことを認めないわけにはいかなくなりました。
 入院生活に慣れ、少しずつ祈るゆとりができてきました。一日も早くこの病気を癒してくださいと神様にお願いするうちに、神は、冒頭の私の問いかけに対する答えとしてこの病気をくださったのではないか、という思いが、私の心の中で次第に膨らんでくるのを感じ出しました。
 年はとっても世のため、人のためできることはまだまだあるのだという、いっぱしのうぬぼれを、神は私から剥ぎ取ろうとしてくださったのかもしれません。
 私の中に残っている変な執着心と傲慢さから脱却して、人様のご好意は素直にいただき、そしてすべてに感謝する心をいただけるよう、神に願いつづけたいと思います。
〈75歳男性 無職〉
* ふりかえりのヒント*
1.日頃、心の中でどんなことを願っていますか。その願いは自分にとってどんなものでしょうか。
2.自分が出会った困難や苦しみをどのように受け止めているでしょうか。そこから気づくことが何かあるでしょうか。
3.神さまは自分に今、何を望んでおられるでしょうか。神の呼びかけや照らしがあるでしょうか。
(出来事に聴く 82 2005/5/6)