イエスさまのABCモデル
 私は商業コンサルタントとして仕事をしながら現在、社会人学生として大学で社会学と心理学を学んでいる。あるとき学会の研修でふと「これって、信仰生活と同じかもしれない」と思ったことがあった。それはアルバート・エリスの合理情動行動的アプローチのABCモデルである。アルバート・エリスはNY在住で91歳にして現役の心理療法家で、そのセッションをNYの研究所まで見学に行ったことがあるが、気骨なじいさまといった感じですごい。
 さて、そのエリスのABCモデルだが、A(Activating events)は出来事、B(Belief)は信念や価値判断、C(Consequences)はBから生じる情動やそこから派生する行動。つまり、私たちの問題の原因は出来事(A)ではなく、それに対する私たちの考え(B)にあること。その考え方(B)次第で、結果(C)を選べるという理論である。そのBには、現実に即していない不合理な信念と、弾力的で好ましい選択が行われる合理的な信念があり、後者の健全な信念をもつことを目ざすカウンセリングである。このBが聖霊の働く場所だと考えてみると、キリスト者の生活もABCモデルとして見ることができる。
 「信仰を持っている人の職業生活はやはり強いですよね?」「信仰のある人とない人は同じ仕事をしていても違うのでしょうか」といった質問を実はコンサルの面談のときによく受けることがある。「信仰がある人はゆれない、ふりまわされないよね」「確かなものがあるというのは強いの?」と友人たちから聞かれることも多い。急速な社会変化の中で生きる私たちはどこかで確かなもの、変わらないものを求めている。それは信仰にあるのではないかと感じている人が少なくないのではないだろうか。
 私はかなり心配性の気質で、幼少の頃の口癖は「どうしよう」だったほどだ。迷うことも悩むことも常にあるのだが、なぜか不思議と世間からはそうは見えないらしい。それはキリスト者としてのBeliefがそう感じさせているのだろうか。Aという同じ出来事でもCという結果はBという信念で大きく異なるのだ。
 エリスのABCモデルの不合理なBにはD(Dispute)とE(Effective)といった手立てが加えられる。キリスト者のABCモデルが聖霊に満たされるためのDとEは、祈りと祈りによる識別かもしれない。私たちキリスト者のBeliefがいつもイエスさまと共にありますように。
〈43歳女性 商業コンサルタント〉
* ふりかえりのヒント*
1.ひとつの出来事(A)を思い出してみよう。それについて、どのように感じ、どのように思っているだろうか。つまり、どういう信仰の態度(B)でその出来事を受けとっているだろうか。
2.神の望みにかなった行動(C)をとれたと思うことを思い出してみよう。そのときは、どういう信仰の態度(B)だっただろうか。
3.出来事(A)にふりまわされず、いつもみ旨にかなう行動(C)をとるには、どのような信仰の態度(B)が必要だろうか。
(出来事に聴く 83 2005/5/20)