イエスがくださる希望と平安
 人生さまざまなことがおきる。
 6年前、資金も後ろ盾もなく出版社を始めた。小さなワンルームマンションに、机と電話があるだけ。メンバーは私ともう1人、計2人の会社である。勝手に出版社だと名乗っただけで、一日中仕事もない。全然商売にならず、赤字の連続だった。心細かった。
 だが、やがて仕事も増えてくる。いくつかの仕事が成功し、軌道に乗ってきた。大ヒットした本もあり、売上は激増した。今度は、早朝から深夜まで、寝る間もなかった。
 が、好事魔多し。どうしたことか当ての外れた仕事が続いた。経営に甘さもあった。一転また苦しい日々。背負った重荷は、ずっしりと肩に食い込む。会社経営とは辛いもの。私が会社を始めてわずか数年の間に取引先の社長が2人、自ら命を絶った。また別の1人の社長はある朝、何の前触れもなく心臓が停止した。
 誰か助けてほしい……。深夜1人インターネットに向かい、「支え」、「救い」を探す。世界中に張り巡らされたネットなのに、助けは何も見つからない。友人、親、家族……、もちろん親身になってくれるだろう。だが、彼らは、私になることはできない。制約も限界もある。
 ふと高校生の頃買い求めた「聖書」が手許にあるのに気がついた。不思議だが、なぜかここ以外に、救いはない、と感じた。イエス・キリストが私に無条件の愛を注ぎ、身代わりになってくれたことが書いてある。私が頼るものはほかになかった。四谷にある会社の顧問税理士を訪ねて、しばしば相談をした。折しも正午、鐘の音に惹かれ、教会に入った。全く様子のわからないミサだったが、私の帰るべき場所と思えた。私は、この日すぐに洗礼を受けようと決心した。
 ある黙想会で、ヘルパーの方に話したら、自分で選んで会社を始めたり、事業がうまくいったり、うまくいかなかったりしたことは、実は神が何かを伝えようとしている働きなのかもしれませんね、と言われた。きっとそうだと思う。神さまから耳を引っ張られたようで、痛かったけれども強い招きだったのだなと思う。
 昨年のクリスマスに洗礼を受けて、とても嬉しかった。何かふんわりとしたベールに包まれたような気持ちだった。
 今、仕事そのものの行き詰まりが解決したというわけではない。いまだに苦闘は続いている。だが、私はイエス・キリストは「希望」であると思う。いつどのような形で、私に道を開いて下さるのかわからないが、どこまでも希望を与え続けてくれることだけは疑わない。暗く長いトンネルの中でも、遠くに僅かでも光が見えていれば、歩いて行ける。私のいる場所は決して何も見えない暗闇ではない。
 正直に言えば、不安や恐怖心はあるけれども、どん底に落ちたとしても別にかまわない、イエスと共にいられるなら、それもいい、と思っている。私の好きな聖書の箇所は、復活後、イエスが度々現れる場面。恐れ、怯え、戸に鍵をかけていたのに部屋の真ん中に来て、「あなたがたに平和があるように」と言われた。どんなに心強いことか。固く心を閉ざしていた私の心の中にも、いつの間にか主がおられて、「あなたがたに平和があるように」と言って下さる。
 イエスは、私をこんなにも力強く呼び、何をしろとおっしゃるのか。もっと耳を澄ませ、イエスの声を聞かなくてはならない。今はひたすら主の姿を追い求めるばかりである。
〈48歳男性 出版社経営〉
* ふりかえりのヒント*
1.あなたがつらいとき、本当に頼れるものは何でしょうか。
2.あなたはどこに希望と、平安を見いだすでしょうか。
3.イエス・キリストの導きを生活の中で感じるでしょうか。
(出来事に聴く 85 2005/6/17)