小さい赤ちゃんをとおして
 もう10年以上前のこと、いつものように私は日曜日のミサに出席していました。私の前には若いお母さんが小さい赤ちゃんを抱いて座っておられました。抱っこされた赤ちゃんの顔は私の方を向いており、しかもその顔はちょうど私の顔と同じ高さにありました。説教の時間になり、ついつい気を散らした私がその赤ちゃんの顔を所在無く見ていると、その赤ちゃんも私の方をじっと見つめ返しました。そして、急ににっこり微笑んだと思うと、何がそんなに嬉しいのか?とこちらがいぶかしくなるほど、ずっとにこにこと私に笑いかけているのです。
 その全く邪気のない無垢な笑顔を見ていると、ふいに幼子イエスが私に笑いかけておられる!という強烈な感覚を得ると同時に、このようにすべての人は神さまから心の底から喜ばれ、受け入れられているのだ、神さまは全く私たちを疑うことなく100%信頼なさっているのだという思いに圧倒されました。神さまが赤ちゃんとしてこの世に生まれてくださったのは、これを私たちに伝えたかったからであり、幼子イエスの意味はまさにここにあるのだと。
 私は上に書いたようなことを一瞬の内に感じました。そして、あまり感動したので、自然に涙がぼろぼろ溢れ出し、しばらく止められなくなってしまいました(私が突然泣き出したので、神父さまが怪訝そうにこちらを見ておられていたものです)。
 その時以来、私は赤ちゃんを見るたびに、この恵みを思い出すのです。私が笑いかけるとどの赤ちゃんも本当に疑うことなくにっこりし、心から嬉しそうに笑い返してくれます。その笑顔は、私にとって、神さまが底抜けに私たちを信頼し、疑念なく丸ごと受け入れくださっていることのしるしです。
 説教中に気を散らすという、およそ俗っぽいことを通してさえも、神さまはご自分の愛を明かす機会となさいます。このことを通して、まさに神さまはこの日常の中で私たちといつも共にいてくださる方、日常の中で語りかけている方だということを、教えていただきました。
〈40歳女性 修道者〉
* ふりかえりのヒント*
1.赤ちゃんや小さい子どもを見るとき、あなたは何を感じるでしょうか。
2.幼子イエスを見るときはどうでしょうか。
3.神さまが私を受け入れてくださることを、どんなときに感じるでしょうか。
(出来事に聴く 86 2005/7/1)