上司の姿から神さまは
 転職活動をして、職務内容、条件、知名度に満足できる会社に転職が決まり、喜びのうちにいた時のことである。
 面接では穏和で紳士的だった上司の態度が、入社直後に一変した。気分のムラが激しく、常に怒り口調で、話しかけても無視。人が話している途中に何も言わずにいなくなる。人に感謝することを知らず、自分の失敗は他人のせいにする。自分より立場の低い人には横柄な態度をとるが、自分の上司には絶対服従、という想像を超える根性の悪い人間であった。
 ショックと怒りですぐに転職活動を再開した。転職活動に膨大なエネルギーと時間を費やしたばかりだったので悔しい気持ちで一杯だったが、自分の居場所ではないことは明らかだった。入社後1ヶ月ほどで他社から内定が出たことを機に、悩んだ末、退職することにした。
 退職を決意した日は黙想会の初日でもあった。初日の夜、「祈りの中では、聴く、対話をすることを大切に。壁やポスターに向かって話すのと違い、主は生きておられるのだから必ず何らかの反応があるはず」という司祭の導きの言葉がとても心に響いていた。
 「主の望みを生きたい」という希望を抱き始めていた頃でもあった。しかし自分の召命について具体的なことは見えず、社会生活と信仰生活に接点を感じられずにいた。
 黙想会の最終日、黙想を終えて聖堂で主に感謝をささげ、席を立とうとしたその瞬間のことである。突然「あの上司の態度は、主に対する過去の私の姿、そのものであった!」という衝撃的な思いが私を襲った。突然だったので、最初は必死で否定した。あそこまでひどいとは思いたくなかった。しかし、確信は強まってゆくばかりであった。
 12年ほど前に受洗の恵みをいただいたものの、その大半は祈りを知らずに過ごしていた。主を信頼せず、尊重せず、耳を傾けず、無視し、感謝もせず、自分の失敗を主のせいにしていた私。私があの上司の態度に深く悲しみ、傷ついていたのと同様に、主も私の態度によって深く悲しみ、傷ついておられたのだ。以前は「固くてゆるぎない巨大な岩」のように神をイメージしていた。しかし今回の出来事は、私の一挙一動を見て喜ばれたり、悲しまれたりする人となられた主キリストのみ心を示してくださったように思う。
 短期間とはいえ苦悩した1ヶ月ではあったが、今となっては主の慈しみと絶妙なおんはからいに感謝!そして元上司にも感謝!である。
〈39歳女性 信徒〉
* ふりかえりのヒント*
1.いやな人に出会ったことがあるでしょうか。その人がなぜいやなのでしょうか。
2.その人の姿から、自分について気づくことがあるでしょうか。
3.神はなぜその人と私を出会わせたのでしょうか。
(出来事に聴く 87 2005/7/15)