神様の不思議な配剤
 ここ50名近くの人が共に暮す「ケアハウス」のなかで、カトリック信者は彼女と私の二人ですが、性格が真反対で、事毎にちぐはぐが発生し関係が難しいのです。私にとっては彼女の不機嫌・無愛想・ぶっきら棒の言動は内心恐怖で、そのたびに傷つき、遂に怒りと嫌悪が頂点に達し二ヶ月間話しかけませんでした。その間怒りが静まるにつれ悩みになり、良い関係をとることはできないから距離を置くしかないと心に決めた次の日、思いがけず教会の友人の病気のこととバザーの品物のことで話しかけていました(彼女は病弱で大祝日にしか教会に行けない)。すると私の心の中に造っていた壁は崩れ去り、彼女はバザーに出す品物を持ってきてくれて、何もなかったかの如く以前よりあたたかい交わりが回復しました。
 そして気づいたことは、ここに住む高齢者すべてに言えることではと思うのですが、その人の人柄は80年・90年を越えてきて尚更、その人の育った幼児期の環境が刻んだ心象が映し出されているように見えるということです。彼女の母は肺結核で別に住み、父親は戦前の校長先生で、祖母に育てられたそうで、彼女からは明治の気風が感じられます。「あの人は悪魔よ!」と言ってある人と二年間過ぎても口も利かず目もくれないき然とした態度をつづけています。それに反して私は幼児期に親戚に預けられ、親代わりの人々の顔色を伺い心を推察し気を遣わざるをえない環境だったためか、今でも無意識のうちに人の思惑に気を遣い過ぎる傾向があるのです。
 「この人とはやっていけない。それが信者同士とは‥‥」という長い間の悩みが、「これはお互いのための神様の不思議な配剤だったのだ」と感謝に変わり、体のあちこちの痛む病気なのに「私は人に痛いとか苦しいとか言わないの。ささげものが減っちゃうから」とシャキッとしている彼女の姿に敬意を感じるようになりました。
 その後、またも思いがけないことが起こりました。彼女と食卓で同席だった人が席を変えることを願い出たため、私が彼女と同席になるようにと指名を受けました。そして今は同じ信仰に結ばれた信頼と友情の交わりのうちに過ごしています。
 「天主様のおはからいだわ。感謝」と言う彼女の言葉に心を合わせて、二人の交わりが、ケアハウスの仲間たちへの「神様のご臨在と愛の証」となりますようにと、ひたすら願い祈っています。
〈82歳女性 ケアハウス在住〉
* ふりかえりのヒント*
1.人間関係で難しさを感じることがあるでしょうか。それはどんな感じですか。特に、この人とはやっていけないと感じる人がいるでしょうか。
2.お互いのための神様の配剤と思える点がないでしょうか。それはどんなことでしょうか。
(出来事に聴く 94 2005/11/18)