カンボジアの旅
 難民として来日した子どもたち14名を里子として育てた支援団体の指導司祭と共に、私が始めてカンボジアを訪れたのは2004年の冬だった。成長した子供たちはそれぞれの道を歩み始めていた。
 その中でRという青年は、祖国で司祭の片腕となりカンボジアの辺地に小学校建設の仕事に心魂を傾けている。彼は現在30歳半ばであろうか。現場の総責任者として、資材購入・運搬・工事・職人の監督に至るまでさまざまな仕事をこなし、その仕事ぶりは誠実そのものである。
 1981年12月、難民として成田に降り立った時、Tシャツ姿の彼は12歳くらいにしか見えなかった。ポルポト政権下の4年半、声を出すことを厳しく禁じられ声帯が発育せず、小声でしか話せなかった。良家の息子として生を受けながら無学な貧農の子として名前も偽り、恐怖政治に耐え抜いた。そして少年兵に仕立てられ、ベトナム兵を3名刺殺した。里子として養育されていたとき、これが原因で、自殺にまで至るほどの病状に落ち込んでいた。今でいうPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。
 1994年、Rは司祭と共に、15年ぶりの里帰りをした。頭を丸め坊主姿になった彼は、生死不明の両親・妹を探すため、死を覚悟してポルポトが当時支配していた奥地へ入って行く。
 半年後、僧侶の学校建設の嘆願書を持って帰国。その後カンボジアの寺の敷地に校舎建築が始まった。素人のRが先頭に立ち、不平、不満、文句を口にすることなく手を抜きたがる職人たちを見守りながら真面目に仕事をこなしていった。2005年1月にはバッタンバンに11校目が完成し、現在12校目が建設中である。
 情熱を燃やすRの顔はまばゆく輝いている。彼の心の中を思い知ることは難しいが、過去の運命を甘受し、死の苦悩を過ぎこし、試練を愛に生きる力とし、刺殺した3人の若者に代わって次代を背負う子供達にたくす希望が、Rに輝きを与えているのではないかと感じられる。
 Rは難民として来日したため、未だに無国籍のままである。今秋来日する彼を、日本国籍が取得できるよう私たちメンバーは支え、その実現を願っている。Rとの出会いは、私にも希望と生きる喜びを与えるものであった。このような青年に出会え、微力ながら私の余生を捧げることのできる幸せを感謝している。
〈70歳男性 海外を支援する会ボランティア〉 
* ふりかえりのヒント*
1.ボランティア活動の中で、あるいは他の活動の中で、出会った人が変えられ、成長していく姿を見たことがあるでしょうか。それはあなたにどのような意味があるでしょうか。
2.自分の余生を捧げるに足ることが、あなたにあるでしょうか。
(出来事に聴く 95 2005/12/16)