コーチング
 トリノ冬季五輪開催前、メダル候補の日本選手「モーグルの上村愛子選手」を取り上げた番組を見た。彼女は18歳だった長野五輪で7位、少しずつステップアップを果たし、昨年の世界選手権では銅メダル。3度目の五輪で惜しくもメダルは逃したが、番組で注目されていたのは、「3D」と呼ばれるエアの大技である。スランプに陥り、コーチの指導を受けている姿や、この大技習得に励む上村選手の姿を映し出していた。私は上村選手以上に彼女のコーチのインタビューが心に残った。そして能力や可能性が最大限に発揮されるようにサポートする「コーチング」という言葉を思い起した。
 私は数年前に『バルナバのように人を育てる―コーチング・ハンドブック―』という本を読んだことがある。バルナバ、つまり「慰めの子」というあだ名がつけられていたキプロス島生まれのヨセフ(使徒4・36)である。彼はパウロの潜在能力や使徒性を見出し、行動を共にしながら育て、自分が育てた者が自分を越えていくことを喜んだのである。バルナバをパウロとの意見対立者(使徒15・39)として浅くしか捉えていなかった私にとって、バルナバのこの姿は、目からウロコであった。
 好きなことや好きな人に出会うことも、私たちの持っている能力や可能性を引き出すことが多い。先日、修道会に入会することを決心した女性と話をしていたとき、彼女が一緒に住んでいる妹さんの話題になった。妹さんはある映画を観て感動し、飛行機嫌いだったのが、映画のロケ地ニュージーランドを訪問するツァーに参加し、2人で楽しんできたというのである。また最近は、好きな人ができたらしく、外出嫌いだったのが少しずつ外出できるようになり、家族も驚いているらしい。私は話を聞きながら語っている彼女のなかに神様が働かれていることを強く感じた。ファショナブルだった彼女が、今素顔で私の隣に座っている。私が「あなたはイエス様に出会ったのね」と言ったら、「私にも大きな出会いがあったのです」と強く頷いていた。
 コーチは表彰台に立つことはなく、決して表舞台には出ない。選手の成長や喜びが彼の喜びでもある。オリンピックシーズン、ふと思った。私たちキリスト者も素敵なヘッド・コーチがいる。彼の名はイエス・キリスト。私たちの人生の旅路を「イエスご自身が近づいて来て、一緒に歩き始められる」(ルカ24・15)。そして、私たち一人一人の可能性を引き出し、励まし続けていてくださる。トリノ五輪に参加する選手たちだけでなく、選手を支えている家族やコーチたちにも熱いエールを送りたい。
〈東京 54歳女性 修道女〉
* ふりかえりのヒント*
1.今までの経験で、自分を大きく伸ばしてくれた名コーチ(人や他の出会い)がいたでしょうか。そのコーチは自分をどういう風に伸ばしてくれたでしょうか。
2.イエス・キリストはどういう意味で、私のコーチでしょうか。自分のどういう面を育ててくれているでしょうか。
(出来事に聴く 97 2006/2/17)