子供を授かって
 父親になった瞬間のことを、私は今も鮮やかに覚えています。それは、何とも言えないような嬉しさととともに、何か神聖なものに触れたような厳粛な気持ちとが交互に波のように押し寄せてきた、そのような瞬間でした。あたかもしばらく時が止まったかのようでした。
 私の妻は、「月のもの」の周期がとても不安定でした。それだけに、ひょっとしたら子供を授かることはないのかも知れないと、ふと感じることもありました。なので妻の「月のもの」の様子が変でも、それで直ちに「子供を授かった」と考えることはありませんでした。しかしその瞬間は突然やってきました。妻が「今回は気になる」と言って病院に検査に行ったところ、子供を授かっていることがわかったのです。それを妻がメールで知らせてくれた瞬間、私は職場にいました。そのメールを読んだとき、私は心臓が口から出るほど驚き、そして先の感情が沸々とわいてきたのです。
 子供を授かること、それは言葉では言い尽くせないほどの神秘体験でした。私は、自分と妻の間に神様が子供を預けて下さったことに、何とも言えないありがたさと、そして何よりも恵みを感じずにはいられませんでした。この世は相変わらず悲しみと苦しみに満ちています。過去のどの時代よりも、人間性の失われた世界が広がっています。にもかかわらず、この世界にこうして神様は新しい生命を送って下さるのです。そこに私は、神様の飽くなき救いへの情熱、罪の支配が人間の社会を覆い尽くそうとも、それでもなお人間に希望を置き、ぶどう園に農夫を送り続ける神様のあわれみのわざを見るような気がしました。
 子供を授かるとは、単に私たち夫婦間の出来事を超えた、この悲しみの世に今も継続してなされる神の救いの出来事なのだとしみじみ感じつつ、願わくばどうか我が子が、人の救いのために捧げられた人に成長して欲しいと切に祈っています。
〈東京 37歳男性 教員〉
* ふりかえりのヒント*
1.子どもを授かる時のような神秘を感じたことがあるだろうか。実際に子どもを授かったとき、あるいは他の大きな恵みをもらったときなど。
2.悲しみと苦しみの満ちたこの世界に対して、神のあわれみのわざをどこで、どのように感じることがあるだろうか。
(出来事に聴く 99 2006/3/17)