ベトナムのスラムで
 ぼくは年に一度、ベトナムに行く。市民団体の一員として、支援先を訪ねるためだ。1年ぶりにベトナムの友人たちと会う旅は楽しい。でも、時にはやりきれないこともある。
 田舎はいい。生活は質素でも、大地の実りはゆたかだ。家族や隣近所のきずなは健在で、子どもたちの笑顔は輝いている。でも、都会のスラムは悲惨だ。農村で食いつめた人たちの吹きだまりだから、共同体などない。仕事もない。学校にも行けない。未来も希望もない。だから、酒におぼれ、博打にはまり、麻薬を射ち、売春で稼ぐ。
 かつて、在日韓国人の方たちとともに働く牧師が、「清く貧しく美しく、というのはウソです。生活が苦しくて、希望がなければ、人間の心はいやしくなってしまいます」と言っていたのを思い出す。スラムから道一本へだてた向こうには、東京にも負けないビル街がある。でも、この道は決して越えられない。ボランティアの人が、スラムの子どもたちをホテルのレストランに連れて行く。「こんな機会でもなければ、この子たちは一生、ホテルに入ることもないでしょうから」
 麻薬や売春はエイズへの近道だ。スラムで行われる法事に出てみて驚いた。十代・二十代の死者があまりに多いのだ。去年会ったあの人も、この人も死んでしまったと聞かされると、本当にやりきれない。エイズはコミュニティの未来を奪っている。薬がないわけではない。ただ、高くて買えないだけだ。「私たちには彼らは救えません。ただ安らかに死ねるよう、手助けするだけです」とボランティアは言う。そしてぼくは、あまりの救いのなさに、ぼう然と立ちつくす。
 でも、ボランティアの人は言う。「希望はかれら自身のうちにあります。最良のボランティアは住民自身です。かれらの生き方は、隣人への奉仕を通して劇的に変わります」。極限まで貧しく、重い十字架を背負って、支え合わなければ生きていけない、小さくされた人たち。ぼくには何もできない。でも、主がそこにおられる。主が、住民自身を通して働いておられる。かれらは奉仕を通して、新たな人に生まれ変わっている。
 そう考えるようになって、スラムに行くのが少し楽になった。今年もベトナムで、新たな主の働きと出会いたい。ベトナム旅行は巡礼の旅なのかもしれない。
〈45歳男性 団体職員〉
* ふりかえりのヒント*
1.今の社会の現実に触れて、一番やりきれないと思うのはどんなことだろうか。
2.それに対して、どのようなところに希望を見いだすだろうか。
(出来事に聴く 100 2006/3/31)