救急の看護から
 私は救急部で看護師として働いている。今回その中で体験したことをふりかえってみた。26歳女性。彼の運転する軽自動車が普通自動車と正面衝突。10m飛ばされ救急搬送された。出血性ショックで死亡した事例。
 回復の見込みが絶望的になり医師たちは手の打ち所がなくなった。この時わたしは、彼女の家族のために今、〈看護師の私にできることは何か〉を自問自答した。そして主にすべてを委ねた。26年間大切に育てた娘との最期はどうあるべきかを両親の立場で考え、両親に最期の別れをしてもらいたいと真剣に願った。普段は医療従事者以外入室禁止の部屋なので、家族を入室させることをいつ言い出せばよいだろうか。私自身かなり勇気が必要だった。
 両親の思いを強く感じたので、思い切って「家族に会わせましょう」と医師に相談した。「そうしよう」と医師の即答があり、すぐに両親に入室してもらった。神の計らいを感じた。母親は「〇〇ちゃん、頑張って!しっかりせんといかんよ。お母さんが付いているけん」と叫び、娘の手を握り締めていた。そして、娘の最期をきちんと看取ることができた安堵感を母親から感じた。私は検死の間、父親のそばに寄り添った。その時「お父さんとお母さんが来るのを待っておられましたよ。頑張られましたね」と伝えると、父親は少しずつ語りだした、「娘は死んでくれてよかったです。運転をしていた彼はまだ若い(8歳年下)です。警察から彼は搬送先の病院で亡くなったと知らせがあり、『彼の連絡先を知りませんか』と尋ねられた。彼が家に来たことはあるが、まだ若いため娘の彼氏とは認めていなかった。そのため、彼の名前も連絡先も分かりません。娘の車を彼が運転していて事故に遇ってしまった。彼の親は息子が事故で亡くなったことをまだ知らされていないのです。相手の親に対して申し訳ない。相手が死んだ以上、うちの娘も死んでくれて良かったです」と。自分に言い聞かすように話された。一般的には現実を受け入れられなかったり、取り乱したりされる方が多い中、現実をありのまま受けとめようとされているのが、痛いほど分かった。
 人の力ではどうすることもできない状況に陥った時、人間は神にすべてを委ねて支えてもらうことで、これからの人生を癒しのうちに生きていけると思う。私にとって、信仰を生きるとは、看護師として〈今をどのように関わるべきか〉をいつも問い、主の声をよく聴いて、誠実に祈りのうちに歩み続けていくことである。
〈54歳女性 看護師〉
* ふりかえりのヒント*
1.日々の生活の中で、どんなときに、今をどのように関わるべきかと、問うているだろか。
2.主の声をどのように聴いているだろうか。
写真: 中司 伸聡
(出来事に聴く 107 2006/12/15)