野球の魅力
 私は、もともと野球好きでしたが久しぶりにそのことを思い出せてくれたのは、父の母校でもある早稲田実業の夏の甲子園優勝でした。父は、当時胃がんの手術を受ける前で気持ちが沈んでいましたが、斎藤佑樹君を初めとする後輩野球部員(父も昔セカンドを守っていました)の活躍に随分と励まされました。私は、3回戦の福井商業との試合を甲子園で観ることもでき、父だけではなく、私も沢山の勇気を彼らからもらいました。彼が早稲田大学に進んでからは、神宮球場に通い、斎藤君が投げる試合を何試合か観ました。1年生でもピンチに動じない精神力、打ち取るために最善の方法を選びそこに投げ込む彼のピッチングに、成長し続ける若者のシンボルを見ます。秋には球速を上げたたくましい姿で、私たちの前に登場してくれるでしょう。
 後に続く選手たちも観たいと高校野球の予選も何試合か観ました。写真は、東東京の決勝で、帝京高校が優勝した場面です。このように喜び踊る球児たちは、予選での優勝と甲子園での優勝だけです。
 復活した主に出会った弟子たちも、球児たちと同じように喜びを全身で表したことでしょう。しかし、なかなか現代のわたしたちにこのような感動の場面は訪れないのではないでしょうか? 私は時折、世に対して喜びを告げ知らせなくてはいけないという意識が強くて、喜びを掘り起こしたり受けたりするのが苦手なのではないかと感じます。身の回りで、落し物をした時に善意の人に届けていただいたり、修道会に入会後も心配して食事に招いて下さる人がいらしたり、そこら中に喜びがあふれているのです。それも、信仰のあるなしに関係のないところで。
 また、大学でも高校でも、試合の初め、7回、そして終了時にエールの交換を行います。試合に負ければ悔しいですが、相手校の健闘を讃え合います。このようなシーンが教会にあるでしょうか? 高校生活、あるいは大学生活の多くを犠牲にしてまでも精進しようとする意気込みと、対戦相手に払う敬意に私たちが見習うべき点が沢山あると思います。そのような、シーンにも神様は働いていると考えられるし、そこから吸収するものもあるでしょう。私にとって野球観戦は、単なる娯楽ではなく、聖霊の働きを目で確認できる特別な場所です。彼らのように費やした努力を全力でボールにぶつける姿は、霊の刷新を促してくれます。
〈43歳男性 神学生〉
* ふりかえりのヒント*
1.自分にとって生活のなかで夢中になること、自然に魅かれるものは何でしょう。
2.そこからどんな味わい、力を得、何を学びますか。
(出来事に聴く 120 2007/8/24)