千の風になって
 父は植木が好きだった。とりわけ、松の剪定には余念がなかった。父が亡くなって半年。庭の松は主を失い、元気がなかった。植木職人を呼ぼうか?シルバーに頼めば少しは安くしてもらえるかな。そんなとき、一本の電話が鳴った。
 「これから松を見に行ってもいいかい?」本家に住む従兄弟の一(はじめ)さんからだった。父とは伯父と甥っ子の関係になるが、趣味が共通の植木であったことから父はこの甥っ子をことのほか可愛がっていた。「こうやって丸みを持たせるように形つくるんだよ」「でも理想の姿になるのはあと、5年後くらいかな」慣れた手つきで松の葉を倒し針金を次々と巻きつけていく。聴こえるのは挟みの音と時折聴こえる鳥の声。
 「お茶の時間だよ」母が縁側から声をかけたそのとき、一さんに異変が起きた。「伯父さん、一緒にお茶を飲もうよ」姿の見えない空(くう)に向かって呼びかけているのだ。「どうしたの?」母も私もきょとんとしたまま、彼の行動を見つめていた。縁側に腰をかけて、一さんが急に泣き出した。「さっきさ、俺、梯子から降りたときさ、『一(はじめ)、ちゃんとやってくれよな』って伯父さんの声が聴こえたからさ、「あいよ」って返事したんだよ。でも後ろ振り向いたら誰もいなくってさ。ああ、伯父さん死んだんだもの、ここにいるはずないよなって我に返ったんだよ。でも確かに俺、伯父さんの声を聞いたんだよ。伯父さんこの庭にいるよ」と言うなりまた首に巻いたタオルに顔を埋め「わー」っと号泣してしまったのだ。60過ぎの従兄弟が声を限りに泣いている。母も私も一緒に泣きじゃくった。父はこの庭に生きているのだ。死んでなんかいないのだ。
 一さんが帰ってから母と私、そして兄とでこの話をもう一度した。「きっとお父さんは嬉しかったんだね。天国でも庭の松のことが心配だったんだよ。」と兄が話した。「千の風になって」という唄は、ただの慰めのうたではないのかもしれない。肉体は滅んでも魂は生きている。それからというもの私たち親子は庭いじりをすることが毎朝の日課となった。父が喜んでくれる気がして。今度はいつ声をかけてくれるのかと心待ちにしながら。
〈42歳女性 高校講師〉
* ふりかえりのヒント*
1.身内あるいはかけがえのない大切な人との別離は、残された人の人生に、どんな、そしてどれほどの影響を与えているのでしょう。決してこれまでのようには関われない深い渕、けれども不思議なほどに感じる一体感も同時に体験します。
2.この別離の体験は、根源的そして永遠の課題である死とは何か、そして死の意味を問い、生きることへの新たな再挑戦、そして希望へと向かいます。
3.イエスの死と復活そして昇天を振り返り重ねながら「千の風になって」をもう一度読み返してみましょう。
(出来事に聴く 122 2007/9/21)