感謝を伝えたくて
 2、3週間前のある夜、小学校時代からの親友から電話がかかってきた。話す前に“何かある”と言う普段とは違ったものを感じた。けれど彼女は私の近況、健康を案じ普段のやり取りがあり、特に変わった様子はなかった。
 それで「Fちゃん、あなたはどうなの」と聞くと「来るべき時が来たのよ」と言う意味のことを云った。重大なことが起きているのに声の調子もいつもと変わりなく、淡々と説明してくれた。6ヶ月前の検診で異常のなかった肺に異常が見つかり精密検査の結果、進行性の肺ガンで手術は不可能、気管支、リンパ線に転移しており手の施しようがいこと。医者と話し合い、延命治療は受けない自分の意志を伝えたこと、出来るだけ家で過ごし、最後の時が来たら入院して苦しみを和らげて欲しいこと。二人の結婚したお嬢さんには、只一つ「お父さんのお墓に一緒に入れてくれるように」と頼んだこと、自分で動ける期間はだいたい2~3ヶ月位と云われたので、その間にすべきこと、伝えること等をしておかなければならないので忙しいことなど、声の調子も話し方も全くいつもと変わりない。冷静に聞いている自分も不思議だった。「本当は手紙で書こうかと思ったけれど、もらった手紙は捨てるに捨てられず困ると思ったので電話したの、それにどうしても感謝を伝えたくて」とここまできて、現実が突然舞い込んで来たかのように二人とも泣いてしまった。言葉にならない言葉でいろいろの思い出や、お互いの感謝を伝え合い、またいつものような会話を続け、時におかしい話に笑ったりするので、「こんな時によく笑えるわねー」と言うと「だっておかしいもの」とからからと彼女は笑う。
 二人で大体次のようなことを確認した。今、人生の最も重大な時を生きている。誰でも何時どんなことが起ころうとも決して不思議ではない。たとえこれからまだ10年20年生きるとしてもさ程違わない。悔いのない人生であったこと。小さい時からの友情は大きな支えと宝だったことなど感謝に満ちた心からの分かち合いだった。彼女は信者ではないけれど価値観が福音的であることに驚かされることが多かった。
 神は、すべての人を等しく包み愛し導いてくださっていると再確認する。道、電車ですれ違う群衆の中の一人一人も、神の目にとって掛け替えのない人生を生きるのだと思うと愛しく感じられる。数々の出会いや出来事、すべてが過ぎ去っていく中で…畑に隠された真珠…を大切にして生きたいと思う。“死”は“生きること”と向き合わせてくれる。初冬の落葉を踏みながら、秋のような真っ青な空を見上げながらいろいろ想い巡らす。
〈東京 68歳 女性〉
写真: 中司 伸聡
(出来事に聴く 126 2007/11/16)