北京への道
 北京オリンピックに向かって賑わうこの頃である。勝つという目的に向い、すべてを賭けて真剣に生きる姿は美しい。そんな中、選手たちの紹介、あるいは選手自身の取材などには、必ず困難、挫折、試練と苦悩の体験が紹介されている。
 柔道の選手でシドニーオリンピックの金メダリスト井上康生は、最後のチャンスと思われた大会でも残念ながら成績を残すことができず、北京オリンピック出場の夢は消えた。試合が続行される中でも、カメラは彼を追い「あつ、井上康生選手が見えます。笑顔です!涙はありません!」と興奮気味に言っていた。大会直後に彼の引退表明があった。これまで柔道ができたことの幸せ、充実感、支えられ、愛されたことへの感謝など、明るいさわやかな笑顔での引退表明だった。 彼が目指した金メダル連続獲得どころか、北京オリンピックへの出場への夢さえも消えた。まさにその時、彼の穏やかで平和な表情には、勝利者の風格さえ漂っていた。お父さんは「最高の息子です。」と賞賛されていた。
 井上選手は北京行き、メダルを逃した。しかし柔道を通して“人として生きる”ということにおいて、見事に冠、メダルを手中にしたのではないだろうか。
 そんな中、思い出す聖パウロの言葉がある。
 「あなた方は知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれど賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。競技をする人は皆、すべてを節制します。彼らは朽ちる冠のためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。」
 人は、その人独自の人生という競技場を走っている。他人との競争に勝つために戦っているのではない。特定の選ばれた人のためだけではなく、私たち一人一人のために、朽ちない冠、メダルは準備されている。この冠を得る確かな道、それはイエスの十字架の死と復活以外にはないとあらためて思うこの頃である。
〈60代 修道女〉
* ふりかえりのヒント*
1.私は、何を目指して走っているだろうか。
2.私が成功した、失敗したと思うその基準は何だろうか。
(出来事に聴く 135 2008/7/11)