取り去られて
 その日は突然にやってきました。
 「家を出ます。絶対に探さないでください。少しですが何かの足しにして下さい。お風呂の排水溝の髪の毛は週に1回は取ってください。」
 彼の所持金ほぼ全部を置いて、部屋はきれいに整理され、多くのものは処分され、突発的にではなく着々とその日のために準備されていたのが分かりました。15年くらい大事に世話をしていた亀もいなくなっていました。よく家のことは手伝ってくれ、お風呂掃除をしてくれていた彼にとっての気がかりが書かれていていました。 
 直前までの厳しい辛そうな表情を思うと、どう考えてもよい方に考えることは出来ません。どこをどう取っても彼に悪いところは一つもない、神様は苦しんでいた彼をどんなに愛おしく思って下さっていたであろうかと、それ以外に考えられませんでした。
 20日程経って、今息子の消息がどうであるのか、祈っても祈っても、感じることが「思い込み」なのか、神様からのメッセージなのか分からないことには変わりはありません。ただその中で、あと二人の息子たちが優しく互いに気遣うようになり、ばらばらで外ばかり向いていた私達が、いない息子も含めて家族としての絆を取り戻すように動き始めました。大切なものを、失わないと分からないとは、人間とは何と愚かなのでしょうか。
 好きだったお祈りですが、人の集まる所に行くのが辛く、少し離れていました。しかし祈りを通して繋がっている人達によって、死んだような状態にあった心が、少しずつ息を吹き返してきました。
 エリヤのように自分の命を取り去ってほしいと願った私に、神様が与えて下さったメッセージは「起きて食べよ。」でした。焼き石で焼いたパン菓子と水がエリヤの枕元に置かれたように、私に必要な霊的な糧といのちの水が与えられました。
 全てをお創りになられた神様が、息子に悪くなさろう筈がない、み心ならばどのような状況もお救い下さる、この出来事を通して神様のお計らいが何であったのかをいつか解る日が来る、そのことを信じて祈りたいと思います。
 マリア様が十字架のイエス様の下に立ち尽くされ、我が子でありながら始めから終りまで理解を超えることを与えられながら、祈りの内に神様に委ねられた様に、私も他に出来ることは何もないことを受諾し、ただ神様の前に無力なものとして座り、祈るほかありません。
〈女性 52歳・心理療法家〉
(出来事に聴く 137 2009/5/22)