ロザリオの思い出
 私にはロザリオの祈りについてこんな思い出がある。
 代々カトリックの家庭に生まれた私は、物心つく頃から家族と共に祈りをしてきた。聖母月である5月、ロザリオの月である10月、そして父の後を継いで兄達が漁に出ている間はほとんど、晩の祈りに続き、ロザリオを一連祈っていた。
 珠の繰り方は母から教わった。いつも母の隣に座り、ロザリオを持たせてもらって一個一個残りの珠を確認しながら祈った。時々ボーッとして珠を繰り忘れたり、めでたしの前半で珠を繰っているのにまた後半でも繰ってしまったりして残りの玉の数が分からなくなってしまうと、必ず母の手元に目をやった。そうすると母は、そっと手を広げて残りの珠の数を見せてくれた。
 小学校に上がる頃には自分専用のロザリオを持たせてもらった。白とブルーのきらきら光るロザリオを兄と分けるように言われて、私はマリア様のマントの色であるブルーを選んだ覚えがある。
 そのうち先唱もさせてもらえるようになった。年の近い兄と姉が先唱をする時に珠の数を間違えると「兄ちゃん(姉ちゃん)違うよ」と私が言う。すると私が先唱する時には兄と姉が慎重に珠を数えて指摘するチャンスを伺っている。一つ祈りが足りなかったりすると「めでたし聖寵…」とやり返してくる。それを横目に素知らぬふりで祈りを続ける母。しかしあまりひどいと、後ろからコツンとやられることもよくあった。
 本来ロザリオの祈りは、「観想の祈り」だと言われるが、小さい頃から家族と共に祈った祈り方は「祈願の祈り」が主だった。母は祈りの前に様々な意向を口にした。見たいテレビがあると、私は長いロザリオの祈りをすることに抵抗を覚え露骨にいやな顔をする。すると母は「兄ちゃん達が怪我をしないように」「兄ちゃん達が漁に出ていて祈りが出来ないから」と言って祈りを始める。私の修学旅行の時にも「マリア様に守ってもらってみんなと仲良く、楽しく過ごせるように」と祈ってもらった。今でも忘れられない。
 ヨハネ・パウロ二世前教皇は「ロザリオは家庭の祈り、平和の祈り」と言われたが、本当にそうだと思う。親から子に、子から孫に伝えられる祈りであり、一つの意向のために皆で声を合わせて祈ることの出来る祈りでもある。そこには、今日、新聞やニュースに気を取られて話を聴いてくれなかった父がおり、叱ってくれた母がおり、おやつを分けてくれなかった兄がおり、喧嘩をした姉がおり、家族と離れて仕事をしている兄や姉がおり、そういうちょっとしたすれ違いの一日を過ごした家族と共に、心を合わせるひと時があった。
 今振り返って見ると、家庭の祈りの原点を見つけたような気になる。個人で祈ることも大切だが、共に声を合わせ、共に祈る姿を通して子供たちに伝えていけるものがあるのかもしれない。
〈東京在住 女性〉
* ふりかえりのヒント*
1.自分が祈り始めたのはいつ頃からでしょうか。その頃からなじんでいる祈りや祈りの方法がありますか。
2.何人かで祈ることにより、心を一つに出来た体験があるでしょうか。あればその時の恵みをもう一度味わってみましょう。
3.身近な人の祈る姿から、何か感じたことがありますか。また、子供たちに伝えていきたい祈りの姿があるでしょうか。
4.自分が頂いた恵を玄義にして私のロザリオの祈りを作り、祈ることがありますか。
写真: 筆者が母親から形見としてもらったロザリオと、7つの聖母の悲しみの奥義
(出来事に聴く 138 2009/10/9)