残されたものの思い
 第一幸福丸が転覆した一連のニュースを見ながら、私の心からは、帰りを待つ家族の姿が離れなかった。

 4年前、私も兄を海で亡くしている。
 正月用にと魚を釣りに行った兄は、暗くなり始めても戻らなかった。現場に向かった兄弟が人気のない岩の上に、散乱している釣り道具を見つけてからは、夜も眠れない日々が家族を襲った。
 その中でも、いちばんショックを受けていたのは、兄の最後の姿を見送った父だった。ちょうど2ヶ月前に長患いをしていた母を見送ったばかり。長年連れ添った母を亡くした寂しさと、病院での約1ヶ月間の付きっきりの看病疲れが少しずつとれ始めていた頃だった。

 当時私は広島にいた。兄が遭難した次の日の朝早く連絡を受けたが、どこか遠いところで起きたニュースを聞いているようだった。しかし時間が経つにつれ、徐々に起きたことの重大さが私の頭と心を支配し始めた。「なぜ?何が起きたの?兄は今どこにいるの?…」という疑問が次ぎ次ぎに浮かび、仕事も手に付かず、年末年始の休みに入るとすぐ田舎に駆けつけた。そして疲れ切った悲痛な父の姿を見た時、始めて泣いた。

 田舎に着いても、私はじっとしていられず、毎日のように陸から海から兄弟と一緒に、兄の捜索に出かけた。
 そんな時、たった一度だけ「今日は行くな」と父に声をかけられたことがあった。その時は私の身体をいたわっての言葉だと思い、「大丈夫だから」と出かけてしまった。
 今振り返ると、父は、ただ一緒にいて欲しかったのではないだろうか。あの時の父の寂しそうな、やり切れない表情が目に浮かぶ。80を過ぎて足腰の弱ってきた父には、もう海辺の岩の上を歩くことが出来ない。自分の息子を捜したいという思いを誰よりも強く持ちながら、待つより他に何も出来ないもどかしさを感じて一人家に残る父の気持ちを、私は思いやることが出来なかった。
 今回の事故で、まだ行方不明の乗組員のお母様が、田舎に一人で生活していて現場に駆けつけることが出来ず、教会で毎朝、涙にくれて祈っているという記事を目にし、当時の父の姿と重なった。

 大切な人を亡くした時、側で寄り添ってくれる人の存在は大きい。
 私は突然起きた悲しい兄の死を、痛みや苦しみ、悲しみといった負の感情でしか捕えられなかった。しかし残された家族と兄の思い出を語りながら愛されていた兄の姿を見つけた時、私の中で苦しんでいた兄の顔は笑顔に変わっていった。家族が集まっていた同じ場所にイエスが共にいて、悲しむ人と共に悲しみ、泣く人と共に泣いて下さった。家族と共にキリストもまた私に寄り添って下さり、その恵の中で私は兄の死を受け入れることが出来たと思う。

 次に私が残された人に関わるのはいつだろう。その時、がむしゃらに何かをすることに懸命になるのではなく、共にいるイエスを感じながら、悲しむ人と共にいて、共に祈り、共に痛みを分かち合える寄り添い方をしていきたい。残されたものの思いをイエスが同じ思いで共に担って下さっていることを伝えることが出来るように。
* ふりかえりのヒント*
1.身近な人を亡くした体験がありますか。
2.悲しみに沈む遺族を思う時、その方々に寄り添うとはどういうことだと思いますか。
3.死者の月に亡くなった方々を思い起こし、感謝することがありますか。
(出来事に聴く 139 2009/11/27)