20170311163811.jpg 2017/4/23  復活節第2主日(神のいつくしみの主日) 

  第一朗読  使徒言行録 2:42-47
 (信者たちは、)使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。

 すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。

第二朗読  一 ペトロの手紙 1:3-9
 わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。

福音朗読  ヨハネによる福音書 20:19-31
 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

 このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。




黙想のヒント

  四つの福音書は、最初に、女性の弟子たちだけが墓に行って“空の墓”を見つけた話を記す。

ナザレのイエスヘの愛情が、マグダラのマリアを始め、この婦人たちをイエスの墓に向かわせた。

そこで、神の使いたちのメツセージをいただく。

「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、

の方は復活なさって、ここにはおられない。」

“空の墓”を見た証人として、彼女たちはイエスの他の弟子たちのもとー走って行き、

ありのままの体験を分かち合う。


  今日の福音書に出て来る、「十二使徒」と呼ばれた男性の弟子たちは、

婦人たちと違って、復活したキリストから最後の出現を受ける。

しかも、ユダヤ人を恐れて閉じこもり、自分たちの家から出られなかった。

そこヘ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。


  復活したキリストが、自分の手とわき腹の傷跡を見せてくれ、

シヤロームの平和の言莱を弟子たちと交わす。

イエスが幽霊ではなく、本当に再び生きておられることを、自分で確かめる証処がなければ、

信じられないというトマスの心が分かる。

先生でありベスト·フレンドでもあったイエスが亡くなったという“損”。

その痛手はトマスにとってあまりにも大きく重く、

その死を深刻に受け止めざるをえなかったのである。

十字架の傷跡を見せるキリストに対して弟子たちの喜びが強調されている。

復活したイエスの平和は安っぽいものではなく、

受難と十字架をとおしてもたらされた平和である。


  トマスとの再会において、主は、私たちにも呼びかけられる。

「これから、信じない者ではなく、信じる者になりなさい。

わたしのゆるしと平和の証人になりなさい。」

福音宣教ヘの派遣は主からいただいたシヤロームから始まる。

そして、聖霊の息吹を受けて、新しく創造され、ゆるしや和解を人々にもたらすために。


 主イエスは生きておられる。

主イエスは来て、私たちの真中に立ち、

すべての扉を開き、すべての弟子に平和“シヤローム”をもたらされる。

苦しみと死を通じて復活へ。復活したキリストの体に“傷跡”が残される。

しかしトマスのように共同体とその分かち合いから離れていると、

復活したキリストを信じることが難しくなる。

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(日曜日のみことば 2017-04-23)
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