20170812113621.jpg 2017/9/17  年間第24主日

  第一朗読  シラ書(集会の書) 27:30-28:7
憤りと怒り、これはひどく忌まわしい。

罪人にはこの両方が付きまとう。

復讐する者は、主から復讐を受ける。

主はその罪を決して忘れることはない。

隣人から受けた不正を赦せ。そうすれば、

願い求めるとき、お前の罪は赦される。

人が互いに怒りを抱き合っていながら、

どうして主からいやしを期待できようか。

自分と同じ人間に憐れみをかけずにいて、

どうして自分の罪の赦しを願いえようか。

弱い人間にすぎない者が、憤りを抱き続けるならば、

いったいだれが彼の罪を赦すことができようか。

自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ。

滅びゆく定めと死とを思い、掟を守れ。

掟を忘れず、隣人に対して怒りを抱くな。

いと高き方の契約を忘れず、他人のおちどには寛容であれ。

 


第二朗読  ローマの信徒への手紙 14:7-9
 (皆さん、)わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。



  福音朗読  マタイによる福音書 18:21-35
 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」


黙想のヒント

 相手の身になって生きること。自分のことよりも、まず、相手の気持ちを理解しようと志すことが、イエス・キリストが弟子たちに伝えようとした真実の生き方です。イエスは、とくにペトロに対して、徹底的に寛大に生きるように勧めています。


たいていの場合、怒りは、自分の都合によるものです。私たちは、自分が相手から受けた仕打ちに対して怒りを感じるわけです。自分の立場が邪魔されたときに、人間は怒ります。

パウロは、「生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです」と述べています。洗礼を受けたキリスト者は、もはや主イエス・キリストとの深い信頼関係において新たに生かされています。ですから、主との関わりを土台にして、私たちは生きているのです。

キリスト者として生きているときに、私たちは、もはや主に属する者として、ここにいるのですから、私的な御都合主義が入り込む余地はないはずです。自分の都合を中心にして生きるような、あさましさは、すでに終わっており、新たな歩みに入ってしまっているからです。怒りが生じる余地がないわけです。


それでも、私たちは自分の立場を守ろうとして、相手を攻撃し、相手をゆるしません。どうして、そうなるかと言えば、自分にこだわる姿勢は、常に努力して修正してゆかないと直せないからです。


自分が、御父である神の深い愛情を福音朗読箇所の黙想にもとづいて御子イエスをとおして実感している場合、私たちは他者に対しても寛大にふるまうことができるようになります。しかし、自分だけで動いてしまうと、とたんに自分のことしか眼中にはなくなります。ちょうど、イエスのたとえ話に登場する「心のせまい家来」のようなものです。主人の前では借金を返す期日を延ばすように土下座しますが、ゆるされたとたんに、自分よりも弱い立場に追いやられている相手から負債分を取り戻そうとします。相手の身になって考えるだけの度量の広さがない状態で、目先の正義をふりかざそうとするわけです。



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(日曜日のみことば 2017-09-17)
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