20171021163729.jpg 2017/11/19  年間第33主日 

  第一朗読  箴言 31:10-13、19-20、30-31
有能な妻を見いだすのは誰か。

真珠よりはるかに貴い妻を。

夫は心から彼女を信頼している。儲けに不足することはない。

彼女は生涯の日々

夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。

羊毛と亜麻を求め手ずから望みどおりのものに仕立てる。

手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる。

貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。
あでやかさは欺き、美しさは空しい。

主を畏れる女こそ、たたえられる。

彼女にその手の実りを報いよ。その業を町の城門でたたえよ。


第二朗読  テサロニケの信徒への手紙 一 5:1-6
 兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。


福音朗読  マタイによる福音書 25:14-30 △25:14-15、19-21
 (そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。)「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。

  《早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。》

 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』

 《次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」》




黙想のヒント

 自分の能力を活かさないことが罪です。そして、他人と自分を比較して落胆することも罪です。各自は、生まれてきたということだけで、すでに、かけがえのない価値を備えています。だからこそ、生まれてきたことに感謝して、生きる努力を積み重ねていくしかないのでしょう。


二タラントまかされた人も、五タラントまかされた人も、共通している点は、それぞれのベストを尽くして実りをもたらしたことです。しかし、一タラントまかされた人は、自分の能力を活かさなかったばかりか、他人と自分を比較して諦めてしまったのでした。


イエスが物語るたとえ話は、決して他人事ではありません。今日の私にもあてはまるからです。私たちは、どうでしょうか。他人をうらやましく思うあまり、相手をおとしいれることに躍起となってはいないでしょうか。ひとりひとりが異なっているのが当たり前なのに、どうしても比較してしまう浅ましさが誰にでもあります。そのような狭さから抜け出さないかぎり、ほんとうに自分を高めることはできません。


 目を覚まし、光の子として生きること。目を覚まして生きるとは、神の慈しみに敏感に気づいて感謝することです。自分のことばかりで、ゆとりのない生き方をしてきた人間が、神に気持ちを向けることで自己中心的な生き方から解放されていくとき、まことの目覚めが実現します。エゴイズムから抜け出すことが、光の子となることです。周囲を照らすあたたかみを備えた人が光の子です。


 主を畏れる人こそ、賞讃に値します。自分のことばかり考えて落ち込み、他人と自分を比較してしまう人間の生き方は、神を無視しています。神の慈しみに気づかないで、自分を中心にしているからです。

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(日曜日のみことば 2017-11-19)
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